「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会」報告書に対する意見 2022年1月
                                                  全労働省労働組合(安全衛生PT)
1 報告書の概要
厚労省の「職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会」は2021年7月19日、報告書をとりまとめ、公表しました。
報告書は、化学物質規制(化学物質へのばく露防止のために講ずべき措置)の体系について、個別具体的に法令で定める仕組みから、適切なばく露防止措置を事業者が選択して実行する仕組みへと移行するよう求めています。具体的には、①国は労働者がばく露する有害物質の濃度に関する基準(ばく露限界値:仮称)を定め、危険性・有害性に関する情報伝達の仕組みを整備・拡充する、②事業者はその情報に基づいてリスクアセスメントを実施し、ばく露防止のために講ずべき措置を自ら選択して実行(自律的な管理)するというプロセスを提起しています。これに伴って、特化則や有機則などの特別則は、「自律的な管理」の定着を前提として自律的な管理のために残すべき規定を除き、5年後を目途に廃止することを盛り込んでいます。
また、事業者が適切に「自律的な管理」を実施しているかは、衛生委員会で自律的な管理の実施状況等を労使で共有し、調査審議を行う(事業場の労働者数が50人未満で衛生委員会を設置していない場合は、化学物質を取り扱うすべての労働者と「自律的な管理」の実施状況を共有し、これらの労働者から意見を聞く機会を設ける)こととし、事後にも検証できるようにリスクアセスメント結果や健診結果等の記録保存を義務化することとしています。
あわせて、化学物質による労働災害を発生させた事業場などで「自律的な管理」が適切に行われていない可能性があり、労働基準監督署長(以下、監督署長)が必要と認める場合は、外部専門家の確認・指導を受け、その結果を監督署長に報告するものとしています。なお、ここで言う外部専門家は、労働衛生コンサルタントや衛生工学衛生管理者として一定の業務従事歴がある者などとし、また、確認・指導を受けるべき事項は、化学物質リスクアセスメント等や作業環境管理、作業管理の状況などとしています。
報告書は、作業環境測定に関しても新たな提起を行っています。第一に作業環境測定の結果に基づく評価において第三管理区分(単位作業場所の気中有害物質の濃度の平均が管理濃度を超える状態であり、作業環境管理が適切でないと判断される状態)が継続する場合、外部専門家の意見を聴いて自ら改善し、それでも第三管理区分である場合に労働基準監督署(以下、監督署)へ届け出ることとしています。国は当該届出をもとに、共通的な課題がある場合には、必要な措置の見直し等を検討するとしています。第二にがんの集団発生時(複数の労働者が同種のがんにり患した場合)、業務との関連性を解明するため、所轄労働局に報告を義務付けるとしています。第三に作業環境測定の結果に基づく評価が第一管理区分を維持する場合や労働災害を発生させていない場合などは、一定の要件で法令の適用を緩和する仕組みも設けるなどとしています。

2 報告書の背景
従来、有害な化学物質は、労働安全衛生法施行令や同施行規則で規制対象物質として特定した上で具体的な規制方法を定め、事業主にその履行を求めてきました。そして、規制対象に該当しない化学物質が原因で重篤な職業性疾病が発生するたびに規制対象物質や個別具体的な規制を追加してきました。現在、施行令等の対象となる化学物質は約130、ラベル表示・SDS交付義務物質を含めても約680に過ぎません。他方、化学物質は全世界に数万物質あり、その多くは危険性や有害性が不明なままです。したがって、報告書には従来の規制方法では適切なばく露防止を図ることができないとの問題意識が強く表れています。
 実際、国内における化学物質による労働災害は規制対象外の物質を原因とするものが約8割を占めており、オルトトルイジンやMOCAによる膀胱がん事案など重大な職業性疾病も後を絶ちません。さらに、事業場がそれまでに使っていた化学物質が規制対象に追加されると、措置義務を忌避し、危険性・有害性の確認・評価を十分に行わないまま、規制対象外の化学物質に変更し、法規制によらない不十分な対策によって労働災害が発生する事態も生じています。

3 化学物質のリスクアセスメントの現状
 報告書は、こうした背景から化学物質規制の体系について、欧米型の管理手法を参考にしながら、「自律的な管理」への転換を求めているわけですが、その「柱」となるのは、化学物質のリスクアセスメント(化学物質やその製剤がもつ危険性や有害性を特定し、それによる労働者への危険または健康障害を生じるおそれの程度を見積もり、リスクの低減対策を検討すること)等です。
以後、化学物質のリスクアセスメントを「化学物質RA」と言い、調査・検討までの段階を表します。これにリスク低減措置の実施や残留リスクの管理を含めたものを「化学物質RA等」と表します。なお、「等」の部分は現在、努力義務に位置付けられています。
化学物質RAの現状ですが、中小企業を中心に未だ定着していないと認めざるを得ません。報告書でも2019年の調査時点でその実施率は53%に止まっており、その理由については、「人材がいない」が55%、「方法がわからない」が35%となっています。
こうした中で労働行政は、化学物質RAの実施がラベル表示・SDS交付義務物質を対象に2016年6月から法的義務とされて以降、現状で努力義務である「等」の部分も含めて、その導入に向けた指導を進めてきました。例えば、第一段階として簡易なWebツール(厚生労働省版コントロール・バンディング)を用いて化学物質RAを実施し、その後順次、よりレベルの高い手法に移行していくよう指導を重ねています。
 しかしながら、簡易なWebツールで化学物質RAを済ませたものの、経済的あるいは技術的な理由から、次のステップに進めない事業場が未だ一定割合で存在しています(実際、厚生労働省版コントロール・バンディングに関しても、評価結果を具体的な業務改善に結びつける作業が難しい、より簡素な方法を示してほしいなどの声が監督署等に寄せられています)。
こうした中、報告書が求める化学物質RAのレベルは、簡易なWebツールよりもはるかに高いものとなっています。国際基準であるGHS分類によって危険性・有害性が確認されたすべての化学物質をラベル表示・SDS交付義務物質に格上げした上で、「等」の部分を含めて義務化する方針をうち出し、定量的な手法による化学物質RAの実施を推奨しているからです。なお、化学物質RAは大きく2つの手法に分類され、一つが実測による定量的手法であり、もう一つが数値モデルによる定性的手法です。
化学物質RAには様々なツールがありますが、それぞれに長所・短所とするところがあるため、いずれのツールを用いるにしても豊富な実務経験と専門的な知識が必要であり、現場作業を把握し、使用する機械設備(化学物質RAのために用いる測定機器等も含む)や化学物質の特性を理解した上で、事業場で取り扱うすべての化学物質について実施しなければなりません。これらができない場合、定性的手法は机上での推測に過ぎず、定量的手法も前提となる正しい測定や分析が保障されず、職場における労働災害や健康障害の発生の芽を摘み取るのに効果的な化学物質RAとはなりません。
このように、化学物質RAには多くの課題がありますが、その対象となる化学物質が増えるほどに時間と費用がかかることから、とりわけ中小企業にとって大きな負担となることが推察できます。特に、実測を用いる定量的手法は費用が嵩む懸念があり、小ロット多品種製造の事業場ほど化学物質RAの実施に困難が伴います。

4 リスク低減措置の優先度に基づく措置
化学物質RAは調査までですが、それが終わったら、その結果に基づいて職場で実際の対策を講じなければなりません。その基本は、法定された措置を必ず実施した上で、根本から危険性のある作業をなくしたり、身体への有害性を見直すことでリスクを減らす本質安全化(本質的対策)を優先することです。しかし、それらが難しいときは、設備的対策(工学的対策)、管理的対策の順に有効な対策を検討し、すべてが困難な場合には個人用保護具を使用します。すなわち、労働衛生の3管理である「作業環境管理」「作業管理」「健康管理」へと段階的に移っていく考え方であり、これを「リスク低減措置の優先度」と呼びます。そして、こうした順序になるのは、人は必ずミスをする(ヒューマンエラーを起こす)からであり、人に依存する対策ほど不十分さを残していると考えるからです。
一方、厚労省化学物質対策課が報告書の公表と同日に示した「化学物質規制の見直しについて(検討会報告書のポイント)」には、「発散抑制措置による濃度低減のほか、呼吸用保護具の使用などもばく露防止対策として容認」と記載されています。これでは「リスク低減措置の優先度」を無視した取り扱いになりかねません。
ただし、報告書自体にはこうした記載はなく、「リスク低減措置の優先度を基本としつつ、事業主が自ら選択する措置を講じる」としています。こうしたニュアンスの違いは、今後の規則改正の中で明確化されると思われますが、いずれにせよ、優先順位を厳格に運用することを義務づけることが必要です。

5 実際のばく露濃度をどう評価するか
化学物質RA等を実施した後は、継続的に労働者が吸入する有害物の濃度を把握し、ばく露限界値以下に管理することが労働者の健康確保のために必要です。
 報告書ではばく露濃度を評価する方法として、①個人ばく露濃度測定、②作業環境測定、③数理モデルによる推定値のいずれかと、ばく露限界値(仮称)を比較するとしていますが、ばく露限界値(仮称)を設定する物質の測定分析手法は順次検討するとしており、その内容は未だ明確ではありません。
特に、③はあくまで推定値であり、実測とのギャップをどう無くすかが課題となります。しかも、コストの面では実測するよりも推計値を用いる方が安価となり、①や②よりも③が安易に選り好まれることは容易に想像できます。厳しいコスト競争にさらされている企業に対して努力義務規定や指針を定めるだけでは、労働者の健康確保はおぼつかないと言わざるを得ません。
最も適切なばく露濃度の評価方法を法令上に明記し、義務づけることが必要です。

6 技官の採用・育成再開を始めとする労働基準行政体制の整備
報告書においてもこれまでの「措置義務忌避の実態」や「法令順守が不十分な状況」が指摘されているとおり、単に法令等に新しい仕組みを設けるだけで、ばく露防止のために必要な措置が講じられるわけではありません。その実効性を確保するための指導・支援を行う側の体制をあわせて確保しなければなりません。この点について報告書は、外部(民間)専門家の育成に活路を見出しているものと推察します。もとより、外部専門家の育成が重要であることは疑いの余地はないでしょう。しかし、顧客である事業者から委託等された外部(民間)専門家が、当該事業者に言うべきことをどこまで言えるのか、という疑問も残ります。そのため、これを補う公的な部門の役割が重要になってきます。民間部門に加えて公的部門でも専門家の育成がきわめて必要であり、その緊密な連携が求められてくると考えます。
ところが、報告書には監督署や労働局といった労働基準行政機関や公的研究機関(労働安全衛生総合研究所)の体制強化について言及がありません。その理由は、監督署や労働局等の人員は、政府の定員合理化計画のもとで今後も減り続けると見ているのかもしれません。しかし、こうした姿勢をいま転換しないのなら、新たな「自律的な管理」の仕組みを十分に機能させることはできないと考えるべきです。実際、化学物質RAの全く不十分な現状を招来しているのは、労働基準行政のマンパワー不足に起因するところが大きいのです。
また、地方労働基準行政に配置されている技官(安全衛生分野の専門職員)の配置数が急速に減少している点も改めなければなりません。労働基準行政(特に安全衛生行政)では、これまで主として法令遵守に向けた監督指導(場合によっては捜査)を担う労働基準監督官と、災害防止・職業性疾病予防に向けた専門・技術的指導を担う技官がバランスよく配置され、これらが「両輪」で機能することで職場の安全衛生水準の向上を図ってきました。しかし、厚労省は約10年前に技官の採用を停止したため、以降、労働基準監督官が安全衛生分野の監督指導と専門・技術的指導の両方を担わざるを得なくなっており、安全衛生分野の専門性の低下への懸念が広がっています。
化学物質規制体系を新たな「自律的な管理」へと移行するのであれば、技官の役割はこれまで以上に重要となることから、その採用及び育成を直ちに再開することが不可欠と言えます。

7 特化則や有機則などの特別則を廃止してよいのか
特化則(特定化学物質障害予防規則)や有機則(有機溶剤中毒予防規則)などの特別則を本当に廃止してよいのでしょうか。確かに、従来の規制の体系(法令で規制対象物質を特定し、そのそれぞれに具体的な措置義務を事業主等に義務付ける方法)では、前記2(報告書の背景)で見たとおり、膨大な化学物質が危険性や有害性が不明なまま使用されている現状に的確に対応することができていません。しかし、一方で従来の規制の体系は、分かりやすさや罰則を背景とした実効性などの点で優位性を認めることができるのではないでしょうか。
そして、新たな「自律的な管理」を基軸とした体系にも多くの課題が残されていることは、これまで述べてきたとおりです。
そうであるなら、従来の規制の体系か、新しい「自律的な管理」かのいずれかを選択する議論ではなく、両者が互いに補い合うもう一つの「化学物質規制の体系」を展望する議論もあり得るのではないでしょうか。よりよい化学物質による健康障害を根絶するため、さらなる検討・議論が求められています。その際、安全衛生行政の第一線で実務に長く従事してきた技官等の意見を汲み取ることも重要です。
                                                                以 上
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