行政体制・行政運営 −労働行政体制・行政運営など

厚生労働技官の採用・育成再開を求める全労働の緊急提言(要約版)

—すべての労働基準監督署に10年以上の実務経験を有する技官を配置すべきです—

 

1 厚生労働技官の採用停止

労働安全衛生行政では、それを担う職員一人ひとりが高い専門性と豊富な経験を有していることが何より重要です。労働局や労働基準監督署に配置された厚生労働技官はこうした高い専門性と豊富な経験を身につけた「労働安全衛生のスペシャリスト」でした。
ところが、厚生労働省は2008年以降、厚生労働技官の採用を停止し、労働基準監督官が随時、安全衛生部署に配属されることとされたのです(監督官の一部が順次、安全衛生業務に2年程度従事し、監督部署に復帰する。また、安全衛生部署に配属中も、計画された一定の監督業務に従事する)。(提言本文「1 近年の労働安全衛生の特徴」 「2 労働安全衛生職員に求められる高い専門性と豊富な経験」参照)

2 技官の採用停止という重大な誤り

こうした判断(技官の採用停止)は、監督業務と安全衛生業務のそれぞれに求められる専門性が大きく異なっていることを見逃しています。労働災害と向き合ったとき、安全衛生業務では災害発生の原因究明と有効な再発防止策の確立を目的としますが、監督業務では違反事実の確定とその処罰または是正が目的となり、それぞれに異なった実務経験(育成過程)が求められています。しかも、安全衛生業務は広範である上、各分野に特有の専門的な知識・技能が必要とされ、職員は継続した実務経験を積み重ねる必要があります。短期の研修やマニュアルでこれを補うことはできないのです。(提言本文「3 安全衛生行政の第一線の現状(1)〜(3)」参照)

3 顕在化する深刻な弊害

現在、技官が配置されていない監督署があり、クレーンやボイラーなどの特定機械の検査を実施する検査官が不在となり、近隣の監督署に配属されている技官が検査官として他管内へ出張して検査を実施している現状があります。今後、十分な知識・技能を備えていない検査官が検査に臨み、欠陥を見過ごした場合には、重量物を運搬するクレーンの倒壊やワイヤーの切断事故など重大な事故につながりかねません。
全労働が2012年に実施したアンケート調査(安全衛生業務に従事する職員484人が回答)では、76%が「このままでは労働基準行政の専門性が低下する」と回答しました。そして、その解決策として、「技官の採用を再開する」(74.8%)との意見が圧倒的多数を占めました。安全衛生業務には、「促成」でない豊富な専門性と実務経験が求められており、これらを備えた専門職員を配置しなければならないのです(提言本文「3 安全衛生行政の第一線の現状(4)〜(5)」「4 新人事制度の改善方向(1)」参照)

4 技官の採用再開に待ったなし

 労働災害の防止や職業性疾病の予防に向けては、法令順守にむけた監督指導と安全衛生に関する専門・技術的指導が「両輪」で求められています。従って安全衛生業務を軽視した姿勢は直ちにあらため、技官の採用再開を図るべきです。厚生労働省は職場の深刻な実情を直視し、ただちに技官を採用・育成を行い、その上で、すべての監督署に技官(実務経験10年以上)を一人以上配置する行政体制を確立すべきです。(提言本文「4 新人事制度の改善方向(2)」参照)

以上

 

厚生労働技官の採用・育成再開を求める全労働の緊急提言

—すべての労働基準監督署に10年以上の実務経験を有する技官を配置すべきです—

1 近年の労働安全衛生の特徴
(1) 増加傾向に転じた死亡災害への対策は急務
2018年5月30日に厚生労働省が公表した「平成29年の労働災害発生状況」では、全国で発生した労働災害による死亡者数は978人となり、前年に比べて50人(5.4%)増え、3年ぶりに増加傾向に転じました。死亡者数が多い業種は、建設業が323人(前年比29人、9.9%増)、製造業が160人(同17人・9.6%減)、陸上貨物運送事業が137人(同38人、38.4%増)となっており、緊急かつ有効な対策を講じる必要があります。

(2) 高止まりする脳・心臓疾患、増え続ける精神障害
2018年7月6日に厚生労働省が公表した「平成29年度の過労死等の労災補償状況」によると、脳・心臓疾患に関する請求件数は840件で前年度比15件の増となり、2014年以降、連続して増加しています。また、支給決定件数は253件で前年度比7件減にとどまり、うち死亡件数は前年度比15件減の92件であり、高止まりが続いています。
一方、精神障害に関する事案の労災補償状況では、請求件数は1,732件で前年度比146件増となり、うち未遂を含む自殺件数は前年度比23件増の221件。支給決定件数は506件で前年度比8件増となり、うち未遂を含む自殺の件数は前年度比14件増の98件。請求件数は連年の増加であり、決定・支給決定も2年連続して増加しています。
過重労働対策の強化はもとより、(4)のメンタルヘルス対策を含めた総合的な対策の推進が求められています。

(3) 有効な対策が求められる高齢者の災害防止対策
前述の「平成29年の労働災害発生状況」を年齢階層別に見ると、休業4日以上の労働災害では、60歳以上の被災者数が30,027件(24.9%)で最も多く、50〜59歳が28,631件(23.8%)で次いで多くなっており、高年齢労働者に十分配慮した職場改善や身体機能維持のための健康づくりなどの推進が求められています。

(4)組織的なとりくみが求められるメンタルヘルス対策
長時間過密労働や成果主義人事制度の広がりなどを背景に、多くの労働者がストレス過多となり、働く人の仕事や就業生活に強い不安、悩み、ストレスを抱える割合が6割(厚生労働省平成29年「労働安全衛生調査」)に達しています。メンタルヘルス対策の推進に向けては、事業主がメンタルヘルスケアを積極的に進めていく旨を表明し、職場全体のとりくみとして強力に推進されることが重要です。

(5) 新規化学物質による健康障害が多発
印刷業の職場における職業性胆管がんの多発を契機に労働安全衛生法が改正され、化学物質に係るリスクアセスメントの実施が義務化されています。しかし、その後も床材などに利用されるウレタン樹脂の硬化剤であるMOCA(モカ)による膀胱がんが発生するなど、新規化学物質による健康障害が後を絶たちません。
また、現在使用されている化学物質の中には、健康被害の危険性が不透明なものも多く、具体的な健康障害防止措置の適切な義務付けがありません。加えて、事業主が行うリスクマネジメントも不十分であることから、危険性や有害性の情報伝達がされないまま、規制対象物質の代替品として用いられる可能性があります。
化学物質の危険性又は有害性等が不明なまま安易に用いられる事態をなくすため、新たな規制を含めた対策が求められています。

(6) 一層の充実が求められる石綿障害予防対策
現在では製造・使用が禁止されている石綿ですが、その製造・輸入量は1974年の35万トンをピークに、これまで1000万トンを超える石綿が日本国内で建材等に使用されてきました。そのため、石綿等を含有している建築物が多く現存しており、今後、老朽や解体によって石綿が大量に飛散し、健康障害を生じさせかねません。
こうした中、石綿障害予防規則は改正を重ね、解体工事に従事する労働者の石綿ばく露防止措置等の強化を図ってきましたが、解体工事における石綿の把握漏れや対策が不十分なまま施工されている工事も依然散見されており、労働者の石綿ばく露防止を徹底させるため、今後さらなるとりくみが必要です。

2 労働安全衛生職員に求められる高い専門性と豊富な経験
前述した対策など、労働安全衛生をめぐる諸課題に的確な対応を図るには、都道府県労働局や労働基準監督署において、労働安全衛生行政の第一線を担う職員一人ひとりが高い専門性と豊富な経験を有していることが何より重要です。
従来、安全衛生行政を中心的に担ってきた厚生労働技官の採用・育成のプロセスは、まさにこの高い専門性と豊富な経験を身につけるプロセスであり、「労働安全衛生のスペシャリスト」と呼ばれる所以でもあります。以下、厚生労働技官に求められる知識や能力等を概観します。

(1)災害調査業務
災害調査では、労働災害を繰り返さないため、必要に応じて警察機関、消防機関との連携をはかりながら、災害の原因となっている不安全な状態、不安全な行動、安全衛生管理上の問題等を的確に把握することが重要であり、幅広い専門的知見を必要とします。また、災害原因を究明する過程では、同種災害を発生させないため、災害発生における直接・間接の原因を細大漏らさず明らかにし、その一つひとつに対策を講じることが重要であり、長年培ってきた経験が求められます。
さらに、事業者から報告される労働者死傷病報告についても、その都度、事故の型、起因物の分類を行うとともに、発生原因の背景にある人的・物理的条件を分析し、再発防止に向けた効果的な指導へ結びつけることがきわめて重要です。

(2)計画届等の審査業務
工事等の計画段階で災害の原因を除去する建設工事計画届や、危険・有害性の高い機械設備等の設置届(以下、計画届等)の審査業務では、法令はもとより、各種工法、施工工程、使用機械設備等に関する知識、工事の進捗に応じた災害防止に関する経験・知識等が必要となります。とくに、建設工法の変化は著しく、メーカー等からの情報を積極的に収集し、それぞれに的確な判断を行うことが重要です。また、法令・規則も頻繁に改正され、適用除外や猶予期間等に関わる規定も複雑さを増し、求められる専門性は一層高まっています。なお、計画届等の審査に伴って実施される個別指導(実地調査)については後記(5)に記述します。

(3)民間検査機関の監査等の業務
特定自主検査機関(*1)登録講習機関(*2)について、国が検査や講習の公正・的確さを担保するため各機関の登録を義務付けていることから、当該機関への的確な監査が求められており、検査や講習の実務を指導し得る高い専門性が必要とされます。

(4)特定機械の検査業務
労働安全衛生法では特に危険な作業を必要とする特定機械 (*3)(ボイラーや第一種圧力容器、クレーン等)を定め、その検査業務では、法令(構造規格を含む)や関係通達等に関する知識はもとより、構造・材料や圧力力学・溶接に関する知識、音、振動、破損、腐食等の状態変化を見極める能力が求められます。こうした能力は机上の研修やマニュアルでは決して培うことがでず、長年の実務経験を必要とします。また、個々の検査対象機械には製造時の構造規格が適用されているため、その変遷を熟知し、個々の機械(輸入された機械を含む)の検査に臨む必要があります。しかも、これらの機械の構造等は日進月歩の技術革新によって変化するものであり、それに対応するための日々の研鑚が不可欠です。とくに、高温の蒸気や化学薬品等を高圧で内部に留保するボイラー・第一種圧力容器の検査では、重大な被害をもたらす破裂事故の危険を防ぐため、鋼製の材料を溶接した箇所の非破壊検査や破壊試験等が必要であり、高い知識と専門性が求められます。

(5)個別指導業務
安全衛生個別指導は、災害発生事業場や安全衛生管理上問題のある事業場へ訪問する場合に限らず、特定機械の検査、計画届の実地調査、災防団体とのパトロールなどあらゆる機会をとらえ、それぞれ事業場が抱える安全衛生管理の課題に対する指導・助言を行います。その内容は、法令違反の指摘をするだけに止まらず、災害ゼロ・危険ゼロをめざす事業者及び労働者の災害防止活動への積極的な支援を行うことが求められています。
計画届等の審査で確認した工事や機械設備に対する安全衛生対策が実際に履行されているのか、個別指導として実地調査を行っており、その対象は多岐にわたります。すなわち、有機溶剤など有害物質を労働者から隔離する局所排気装置、足場などの仮設物、橋梁建築など特殊で危険性の高い建設工事等に関しては、計画届や設置届として書面に記された内容と実態に乖離がないか実地調査を行います。その際、機械や構築物の構造や装置の原理を知らずに審査はできず、法令との整合性、実際の作業に相応しいかなどを見極める知識が求められます。現地調査においては、長年の経験から習得した確認すべきポイントをふまえて作業を進めます。こうした厚生労働技官一人ひとりに蓄積された知見は、事業主や関係労働者からも大きな信頼を得ています。

(6)職業性疾病等の予防の業務
労働衛生分野では、職業性疾病の予防や労働環境の改善に向け、健康被害を発生させないための的確な指導が重要となります。とくに、職業性疾病の予防防止に関して、石綿・粉じん・化学物質等の有害性や必要なばく露防止対策など、医学的知識や化学的知識を始めとした幅広くかつ高度な知識と経験が必要となります。また、過重労働などによるメンタルヘルス対策も近年重要性が高まり、労働衛生管理体制の確立を始めとした効果的な対策を支援し得る専門性が求められています。

3 安全衛生行政の第一線の現状
(1) 労働基準行政を支えてきた三官制度
労働基準行政の職員は従来、?労働基準監督官(労働基準監督官採用試験合格者から採用)、?厚生労働技官(全府省統一の国家公務員試験合格者から採用)、?厚生労働事務官(?と同じ)として採用され、それぞれ、?監督業務、?安全衛生業務、?労災補償業務及び労働保険適用・徴収業務を「専管業務」(主として担当する業務)として長期にわたって従事し、その専門性を維持・向上させてきました。職員数の大まかな比率で見ると、?3割、?1割、?6割程度となっていました。もちろん、各職員が幅広い業務を経験することも重要であり、労働基準監督官(以下、監督官)が安全衛生業務や労災補償業務等に就くこともありましたが、その場合でも経験の豊かな厚生労働技官(以下、技官)や厚生労働事務官(以下、事務官)が経験の浅い監督官を支えてきました。

(2) 新人事制度とは何か
しかし、2008年以降、前記の人事制度が大きく変更され、監督官が監督業務、安全衛生業務、労災補償業務等のすべてを担うここととされました。技官と事務官の採用が停止されたのです。
その結果、それ以降採用された監督官は、当初の数年間、労働基準監督署(以下、監督署)の監督課(方面)に配属され、その後は監督業務のほか、監督署の安全衛生課や労災補償課に随時配置され、安全衛生業務や労災補償業務等にも従事することになってます。
2008年以前に採用された技官は、任官直後から、監督署の安全衛生課等に配属され、災害調査・分析、計画届の審査等の経験を重ね、あわせて労働大学校(労働政策研究・研修機構)で実施される専門研修を通じて高い専門性を身につけてきていました。つまり、安全衛生分野では、幅広い産業に関わる豊富な実務経験が重要と考えられてきたからです。
こうした技官の育成過程と比べると、新たに安全衛生業務に就く監督官のそれはきわめて不十分です。

(3) 技官の採用停止の重大な誤り
新人事制度は、監督官に従来の業務である監督業務を担わせることを基本にしながら、安全衛生部署に随時、配属し、安全衛生業務を担うこととする一方、安全衛生業務を専門的に担う専門職員である技官は不要と判断しています。
こうした判断は、監督業務と安全衛生業務のそれぞれに求められる専門性が根本的に異なっていることを見逃しています。すなわち、発生した災害と向き合うにあたって、安全衛生業務では災害発生の原因究明と有効な再発防止策の確立を目的としますが、監督業務では違反事実(犯罪事実)の確定とその処罰または是正(違反状態の解消)が目的となります。
また、監督業務と安全衛生業務では、それぞれに異なった実務経験(あるいは育成過程)が求められていることも軽視しています。
とくに、安全衛生業務が担うべき分野は広範で、しかも各分野の専門的な知識・技能が求められることから、継続した業務経験を積む必要があります。すなわち、当該業務に精通したベテラン職員のもとで十分な期間を確保して実務経験を積むことが重要であり、短期の研修やマニュアルを策定することで補うことは全く不可能です。安全衛生業務に就いた監督官には「安全衛生業務の2年目以降に活躍できることを目的」とした研修・実地訓練が用意されており、1年間で必要な単位を取得することをめざしていますが、定員事情が厳しい下で指導教官にあたる職員(監督署の安全衛生課長等)が日常業務の中で研修に割く時間を確保するのは大変困難です。そして、このような即席の研修を修了したのち、第一線で重大な責任を押しつけられる監督官の不安も極めて大きいものとなっています。
新人事制度のもと、技官の採用・育成を停止したことから、将来、安全衛生行政を担うべき人材が育成できず、安全衛生行政の専門性を継承することが困難となっているのが現状です。

(4) 新人事制度がもたらした現場の混乱
現在、安全衛生業務に従事している監督官の苦労も甚大です。まず、監督官であることから、専ら安全衛生業務に従事することが認められず、各監督署の監督指導計画に組み込まれ、監督業務に従事しなければならないとされています。
その結果、安全衛生部署に配置されている監督官の多くは、監督業務に手一杯であり、主要な安全衛生業務(例えば、特定機械検査業務や計画届等実地調査)にすら従事できない実情が散見されます。また、すでに10年にも渡って技官の採用がないため、監督署の安全衛生課長が監督官、その部下も監督官という職場が出現しています。その場合であっても、一度退職した技官が再任用職員や非常勤職員に配属されているなら、その者が専門的なアドバイスをする場合もありますが、それをできる者がいない監督署もあります。
全労働が2011年11月に新人事制度で採用された監督官を対象に実施したアンケート(160人が回答)では、「安全衛生業務は、1年間の研修で習得できると思うか」と尋ねたところ、99%(158人)が「思わない」と回答しています。あわせて、新人事制度が「監督、安衛、労災いずれの専門性も低下させるもの」「監督署の業務全てを監督官に身につけさせるのは無理があり、どのような人材を育てたいのか展望が見えない」といった多くの懸念の声が寄せられました。

(5) 技官の採用・育成停止の深刻な弊害 
安全衛生業務を中心的に担ってきた技官の採用が停止してから10年が経ち、安全衛生行政における専門性の継承が危ぶまれています。
実際、技官が配置されていない監督署があり、クレーンやボイラーなどの特定機械の検査を実施する検査官がいないことから、近隣の監督署に配属されている技官が他管内へ出張して検査を実施している現状があります。必ずしも十分な能力のない職員が検査に臨み、欠陥を見過ごした場合には、重量物を運搬するクレーンの倒壊やワイヤーの切断事故など重大な事故につながりかねません。また、検査対象であるエレベーターやゴンドラについても、労働者が安全に当該機械を使用するための安全装置等の確認が欠かせず、これが不十分であれば、甚大な事故を引き起こしかねません。
従来、新たに特定機械の検査業務に就く技官を含む経験3年以内の技官を対象に「検査業務担当者養成研修(地方研修)実施要綱」に基づく養成研修が行われてきました。しかし、新人事制度導入後は、新任監督官の研修・実地訓練の中で検査業務研修の実施を規定しているものの、当該研修が期間内に修了しない、あるいは業務体制の確保が難しい中で訓練指導教官の十分な指導を受けられない状況があります。さらに問題なのは、こうした研修を受けた監督官の多くは数年のうちに監督業務(部署)に異動し、安全衛生業務に再び戻らない場合が多いのです。
これまで検査業務を担ってきた技官の育成の現状に照らすと、特定機械に関する安全規則や構造規格、各種機械の構造等を真に理解するには、実物をくり返し確認する検査を行う必要があります。とくに、クレーンの検査では、定格荷重を越えて荷を吊って、実際に動かす荷重試験、ボイラーの検査では、最高使用圧力以上の圧力で負荷をかける水圧試験など、机上の研修では得られない広範な知識や技能が必要となるため、検査官として一人前になるには、少なくとも10年以上の実務経験が必要です。
近年、計画届審査を非常勤職員に担当させたり、特定機械の検査業務を外部委託するなどの動きがあります。しかし、こうした動きによって職員の技能がますます育成されなくなり、災害発生要因の危険の芽を未然に摘めなくなるおそれがあります。

4 新人事制度の改善方向
(1) いかに専門性を維持・向上させるか
全労働が2012年11月に実施した組合員(安全衛生業務に従事する職員)を対象としたアンケート調査(484人が回答)では、76%が「このままでは労働基準行政の専門性が低下する」と回答し、各職域専門性の確保に懸念を抱いていることが明らかとなっています。
こうした中、実効ある労働災害防止対策を展開するには、これまで安全衛生職域で蓄積されてきた専門性を先輩から後輩へ長期的な視野に立って継承することが欠かせません。また、次々に開発される技術や社会的に大きな注目を集める新たな疾病などに的確に対応するには、日々の自己研鑚に加え、安全衛生業務の豊富な実務経験が不可欠です。したがって、長期的な専門家育成の観点が欠如した新人事制度は、決定的な欠陥を抱えていると言わざるを得ません。
そして、これらの問題を解決するための方策として、同アンケートでは「技官の採用を再開する」との意見が圧倒的多数を占めていました。すなわち、安全衛生業務には「促成」でない豊富な専門性と実務経験が求められており、これらを備えた専門職員を配置しなければなりません。
なお、最近の安全衛生業務では、年間業務計画で庁外活動の人日が定められ、個別指導の件数がとくに重視されています(人事評価の目標とされているなど)。こうした件数主義の台頭は、指導の中身より件数を重視するものであり、これによって十分な行政効果は得られません。

(2) あるべき安全衛生体制
これまで監督官が担ってきた法令違反の取り締まりは、労働安全衛生法等が定める労働者の安全衛生についての基準を保障するに不可欠のとりくみであるものの、それだけで、十分ではありません。これまでくり返し述べてきたとおり、安全衛生に関する知識や技術、そして豊かな実務経験に基づく実践的な指導が不可欠です。
ところが、2008年以降、技官の採用が停止されており、このままでは在職中の技官も、安全衛生の技術や知識を安全衛生業務を次に担う世代へ伝えきれず、いずれ全員が定年退職することになります。安全衛生業務に求められる専門性が労働行政から失われてしまうことになります。
監督官が行う法令違反の取り締まり及び是正を求める臨検監督と、技官が行う事業場の実効性ある災害防止活動の定着を図る安全衛生指導はいわば「車の両輪」であり、いずれも欠かすことができません。
一人が幅広く行えば十分との考え方はきわめて危うく、監督業務も安全衛生業務もそれぞれの専門性を高め、両者の協働こそ追求すべき行政のあり方です。
技官の採用再開に「待った」はありません。厚生労働省は職場の深刻な実情を直視し、ただちに技官を採用すべきです。その上で、すべての監督署に技官(実務経験10年以上)を一人以上配置する行政体制を確立すべきです。

5 おわりに
新人事制度によってもたらされた安全衛生業務に従事する職員の専門性低下は、労働災害や職業性疾病の発生に直結することから、その維持・向上は労働基準行政の最優先課題と言っても過言ではありません。
労働者の多くは暮らしを支えるため、生活のおよそ3分の1を労働に費やし、労働条件や雇用などに不安を抱えながら働いています。そこに労働災害によって職場から離脱しなければならなくなったとき、不安は絶望に変わります。
一人でも多く労働災害によって絶望を経験する労働者がいなくなるよう、労働行政に従事する者は努力を続ける必要があります。しかも、労働安全衛生のとりくみは広範かつ高い専門性が求められており、壁にぶつかりながら、試行錯誤を重ねて形成した安全衛生水準を継続していくのは決して容易でありません。こうした中、労働災害の撲滅に向けた労働行政の役割を十分に果たすため、ただちに技官の採用を再開することを提言します。

(*1):特定自主検査機関は、労働安全衛生法で規制する建設機械(ショベルカー・ブルドーザー・杭打機等)や荷役運搬機械(フォークリフト等)などについて義務付けられている法定検査を行う機関であり、法定要件を満たしていると都道府県労働局が認定・登録した機関。

(*2):登録講習機関は、特定の機械を運転する資格(高所作業車等の運転)や危険有害業務に従事する際に必要な資格(プレス機械業務や有機溶剤業務等の作業主任者等)などを取得する講習を実施する機関であり、都道府県労働局の認定・登録が必要となる。

(*3):特定機械は、一定の能力を超えるボイラーやクレーン等であり、都道府県労働局の許可を受けた製造者または使用しようとする者が都道府県労働局の検査(製造時検査等)または労働基準監督署の検査(落成検査等)を受けて合格しないと譲渡及び使用してはならない。