労働運動 −これからの労働運動の展望など

2009年3月
「年越し派遣村」に参加して
〜 全労働の活動内容と今後の課題 〜
全労働省労働組合 中央副執行委員長 河村直樹

年末の31日から年始の5日朝にかけて、東京日比谷公園に開設された「年越し派遣村」はマスコミでも連日大きく報じられました。全労働も連日、東京職安労組の仲間とともに日比谷公園での活動に参加しました(注1参照)。また、日比谷公園での活動を終えた以降も、実行委員会に結集し、さまざまな活動や集会等に参加しました。全労働は、労働行政の専門家集団として相談活動等において役割を発揮したほか、活動を通じて多くを学びました。

1 年越し派遣村の役割

 急激な雇用情勢の悪化により、非正規労働者の多くが仕事と同時に住居を失うという状況下で、年末に国や自治体が相次いで緊急対策を打ち出しましたが、多くの公共機関が12月26日で業務を終了し、労働行政の緊急窓口も30日で終了しました。年始5日に行政機関が始動するまでの12月31日から1月4日までの間、公的な支援を何ら得られないまま、年末年始を過酷な条件で、しかも一人で過ごさざるを得ない多くの人々を支援するため、年越し派遣村は開設されました。市民団体や法律家、労働組合など約20団体が中心となり、食事の提供や寝る場所の確保、生活・労働・医療相談、緊急医療活動などが行われました

2 村の開設以降の推移(概要)

 12月31日の開設日は、早朝から数多くのボランティアが参加し、10時から開催された開村式では、参加ボランティアが既に200人を超えていることが発表されました。同日中にボランティアは公式発表で350人を超え、登録していない人もいることから、実数は400人規模であったと思われます。一方、開村と同時に支援を求める入村者が相次ぎました。しかし、この段階では宿泊場所にも余裕があり、炊き出しも何度もお代わりに並ぶことが可能でした。生活・労働相談もさほど多くは寄せられず、日没までには終了していました。
元日にはボランティアは急激に減少しました。それに対し入村者は増え続け、宿泊場所の収容人員は限界に達しつつありました。生活・労働相談には数多くの希望者が殺到し、長い待ち時間が生じ、相談は夜7時頃まで続きました。その内容も初日とは一変し、生活保護なしには生きていけない人たちが大半であることが、次第に明らかになりました。炊き出しに並ぶ人も増え、この日の夕食には450人が列を作りました。これ以降、食材はあるものの調理能力の限界と闘うことになりました。
1月2日も、朝から入村者が増え続け、宿泊場所の収容人員超過が明らかな状況となりました。順調にカンパが寄せられており資金はあるものの、テントを貸してくれる業者が見つからず、あらゆる方向から宿泊場所の拡大を追求しました。しかしながら午後になっても見通しは立たず、この時点で実行委員会は、厚生労働省と地元自治体に、緊急に宿所を確保するよう要請することを決めました。また、それまでマスコミ各社に対しては、「目的外使用」との批判を避けるため、公園内のテントで宿泊していることは報道しないよう求めていましたが、この時点でその方針も転換し、積極的にテント生活を報道し、その収容量も限界に達しており、行政が緊急対応する必要性を報道するよう求めました。同日午後からは、厚生労働省に幹部が次々と集まり対応が協議されました。そして同日夕刻、厚生労働省はこの日の夜から2階講堂を宿泊場所として提供することを回答しました。また、東京都中央区も宿泊場所の提供を決定しました。前夜までの2日間、すきま風の吹き込むテントで、毛布1枚の寒さに耐えてきた入村者は、ようやく暖かい夜を迎えられることになりました。
生活・労働相談も、前日と同様夜まで数多くの相談が寄せられました。
1月3日も、入村者は増え続けました。派遣村を知った経緯を聞くと、拾った新聞や、たまたま通りかかったテレビのニュースなどで、これだけ大きく報道されながらも、派遣村を知らなかった人たちの存在が浮かび上がりました。経済的弱者は、同時に情報も不足していることが鮮明になりました。一方、早くから入村していた人たちの多くが、みずからボランティアとなって、炊き出しや荷物運び、場内整理、受付など村の運営に携わる姿が目立ちました。派遣村を通じて、被支援者も支援者も変わり始めていることが感じられるようになりました。それとともに、「ここにきて助かった」という当初の思いから、「明後日には派遣村も終わり、また一人で街に放り出される」という不安も芽生え始めました。実行委員会は、村民全体集会の中で、派遣村終了後も支援を継続する立場を明らかにした上で、継続的な支援活動を手助けするボランティアを募るとともに、村内ではお互いを認め合い、トラブルのないよう過ごすことを呼びかけました。生活・労働相談は、相談体制を増強しましたがこの日も夜まで続きました。また、4日目という疲れからか、体調不良を訴える村民が明らかに増加しました。医療チームのもとには、風邪薬や医師の診察を求める人々が相次ぎました。
1月4日になっても、入村者はなおも増え続けました。村内は人でごった返している状況となりました。そんな中でも、朝、相談テント内で食事や暖をとる人々に、「申し訳ないがそろそろ設営したい」と呼びかけると、みな協力的で、進んで設営作業を手伝う姿が目立ちました。生活・労働相談は、最も遅れて派遣村の存在を知った人たちからの相談であり、非常に深刻な内容の相談となりました。この日もテントの外にも机を設置して対応しましたが、夜8時近くまで相談は続けられました。ボランティアの多くは、この日を最後に村を離れることとなり、夜には村民と握手を交わしたり、名残を惜しむ姿があちこちで見られました。この日には村民の規模は500人に達し、生活・労働相談も延べ300を超え、生活保護申請予定者は230人となりました。また、この日の夜には実行委員会が厚生労働省交渉を行い、厚生労働省から、派遣村終了以降は1週間都内4ヵ所で村民を受け入れ、食事を提供するとともに生活や労働相談を行い、早期自立を支援するとの回答を得ました。
1月5日、朝食の提供を持って派遣村は終了し、厚生労働省講堂からも退居することとなりました。村民は新たな宿泊場所となる4つの施設へと移動しました。それに先立ち、生活保護申請者は千代田区役所内の臨時受付に保護を申請しました。また、それ以外の村民は、国会請願デモを行い、院内集会を開催しました。厚生労働省の指示により、東京労働局職員(所に勤務する職員ではなく安定部職員)が各施設に3名ずつ配置され、住居相談や職業相談にあたりました。この対応は当面7日までの2日間とされ、その状況を見ながら以降の対応を検討することとされました。

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3 開村前から始まった全労働のとりくみ

 国公労連から、全労働に対しても要員配置の指示がありました。中央執行委員会は、とりわけ各種相談において、緊急に打ち出された就職安定資金融資事業をはじめ、専門性を発揮できる場であることを重視し、全日程に1名以上を配置することを決定しました。当初は、相談対応のみを予定していましたが、29日の段階で、1月5日以降は求職者は求職活動を再開するであろうことから、履歴書用紙や履歴書等写真(融資に必要な写真)を無料提供する方針を決定しました。
翌30日には、東京労働局を中心にかなりの住込可能求人を確保しているとの情報を得て、パソコンを持ち込み、ハローワークインターネットサービスを活用した職業相談の実施を検討しました。そのための情報を得るため、全労働役員が新宿の非正規センターを訪問し、相談に活用できる求人情報を得ました。
こうして、開村前夜には、住居確保と労働相談(実行委員会メニュー)、履歴書用紙の提供(全労働独自)、履歴書用写真の提供(全労働独自)、求人情報の閲覧(全労働独自)という4つのメニューで派遣村に参加する準備が整いました。

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4 多様な役割を発揮した全労働ボランティア

(1)求人情報の閲覧
全労働の活動は、本部テントの横に設置された、生活や労働、医療相談を行う相談テントを中心に行いました。ここでは、弁護士や労働団体などの多くの相談員が集まり、その一員として全労働は参加しました。また、同じテントでは医師や看護師の医療スタッフも活動していました。
求人情報は、職種ごとにファイル化し、相談テント前に自由に閲覧できるよう設置しました。設置するなり、多くの村民が熱心に閲覧し、それが途切れることはありませんでした。閲覧した村民からは、厳しい雇用情勢にあっても、意外に住込可能求人が出されていることに驚かれ、熱心に求人内容をメモする姿が見られました。
このとりくみを通じ、非常に厳しい環境に置かれた離職者に、5日以降に安定所に行けば求人があるという安心感を多少なりとも与えるとともに、再就職に向けた意欲を喚起することができました。

(2)履歴書用紙と履歴書用写真の提供
履歴書用紙は、書記局近隣の文具店2ヵ所から、店の在庫すべての約80セット(履歴書用紙と職務経歴書用紙各4部と封筒がセットになったもの)を購入しました。また、不足が見込まれたため増刷しました。市販品は1人1部の配布とし、コピーは無制限に提供することを案内しました。しかし、思いの外遠慮がちに受け取る人が多く、市販品はほぼ全数を配布したものの、コピーは200枚程度の配布にとどまりました。
履歴書用写真は、パソコンやデジカメを所有していれば、きわめて安価に作成できるものの、派遣村に来る人たちは自販機で購入し、1回700円から800円も負担している現実から、支援の効果が大きいと考えました。実際に安定所窓口ではそうした声が数多く寄せられています。当初、電源が確保できない条件で準備を始めたため、村内で写真撮影し、引換票を渡した後、書記局でプリントして指定時刻に渡す方法をとりました。また、開村初日は相談テントが混乱下にあったため、希望者には事情を説明した上で翌日以降に提供することとしました。2日目の元日には、設営中にテントに発電機による電源が供給されました。そのため、書記局よりプリンタを運び出し、その場で撮影し、即時プリントして渡す方法に変更しました。撮影にあたっては、テントの白地を背景にするとともに服装等のアドバイスも行い、できるだけ有料の写真と近い水準をめざしました。また、撮影した写真はデジカメ背部の映像で本人に確認してもらい、納得されるまで撮り直しました。厳しい環境の中で、鏡を見る機会もなく、着の身着のままで過ごしている村民からは、何度も撮り直す対応に感謝の言葉が寄せられました。また、所持品の中にスーツを持っている男性が、着替えて撮影に来たり、女性の希望者に対し、ボランティアの女性が化粧品や鏡を貸す場面も見られました。1月3日には、電源の不調からプリンタが作動しなくなり、急遽書記局にプリンタを移動し、「後ほどお渡し」方式に変更しましたが、混乱なく提供することができました。提供する写真は、L版1シートに履歴書サイズの3×4cmを6枚印刷したものとし、提供枚数を制限することなく、いくらでも希望に応じることを強調しました。しかしほとんどの希望者が遠慮がちに1枚か2枚を希望されるにとどまりました。それでも、全期間を通じ約200シートを提供しました。
履歴書用紙と写真の提供は、村民にとって市販品の購入が経済的負担であることから、希望者からは大きな好評を得ました。

(3)生活・労働相談
開村初日の相談は、弁護士や労働組合役員の相談員が、相談者とマンツーマンで相談する方法で行いました。
この日に入村できたのは、情報を早期に得られた人たちで、困難な状況にあっても、その程度が比較的軽い人たちでした。したがって、職業相談や融資の案内が有効なケースも多く見られました。それでも、所持金がほとんどない人の場合、弁護士等へ再相談を依頼したり、逆に弁護士から融資の内容を尋ねられる場面も多々ありました。
こうした経験から、2日目以降は、弁護士や司法書士の法律専門家と、労働組合役員がペアになり、一人の相談者に対応する方法に切り替えました。日を追うごとに相談は深刻な内容が増えました。2日目には、所持金が千円もなく、身寄りもないといった相談者がほとんどで、生活保護なしには生活できない状況にあり、職業相談や融資の相談には直接的に結びつかない状況となりました。
ただ、生活保護申請を決定した相談者に対し、どのような職業選択を考えればよいかなど、全労働として有効なアドバイスを数多く行うことは出来ました。また、法律家にはないカウンセリング技法は、生活保護申請への相談過程で少なからず有効に作用しました。また、派遣村後半には、経済事情から病気を抱えていながらも医者にかかっていない相談者や何日も食事をしていない相談者が増え、生活・労働相談の後、医療相談を受けてもらう相談者も多数ありました。

(4)相談内容の特徴
相談テントには、「生活保護を受けたい」という相談も当然数多くありました。しかし、それと同じか、あるいは上回る数の「仕事を探す相談を受けたい」という申し出がありました(注2参照)。そして、相談の過程で、生活保護が必要である状況が明らかになっていきました。一部に、「本当に仕事を探すつもりがあるのか」といった発言も聞かれますが、直接相談に携わって見たものは、どんな悪条件でも仕事に就いて、自分で生きて行こうとするまじめな求職者の姿でした。そしておとなしく従順で、仕事を減らされても寮を追い出されても、黙ってそれに従ってきた人たちでした。
「仕事を探していて早く就職したい」という相談には、これまでの職歴や最終の仕事と離職日、派遣村に来た経緯、離職後の住居などを、時間をかけてていねいに聞き取りました。その間に、住込求人もあり、通勤ならさらに多くの求人があることも伝えます。相談者の多くは、どんな仕事でも良いので働いて収入を得たいとの思いを語ります。私たち相談員は、生活基盤を確認する必要から、蓄えや所持金も尋ねます。すると、ほぼすべての相談者が預金もなく所持金も底をついて派遣村にやってきていました。離職後求職活動をしても見つからず、あるいは年末に解雇されてすでに求職活動をする場所がなかった人たちです。そして、もともと低賃金で働いてきて、ネットカフェ等で過ごしていた人たちですから預金などありません。なけなしの所持金でネットカフェやファストフード店で夜を過ごし、路上経験のある人もいました。何人かは、路上生活中に所持品を盗まれ、免許証なども失っていました。
こうした人たちは、5日に安定所が開いて求職活動が出来たとしても、お金がなく給料日まで待てないため、安定所の正社員求人に応募できません。したがって、派遣村終了後にそのまま放り出せば、年末までと変わらない日銭稼ぎの仕事を強いられることにしかなりません。私たちは弁護士等と相談し、職業生活を立て直すには生活保護が有効であることを説明しました。それでも多くの相談者は保護には否定的で、自立したいと話しました。私たちは、保護は長期間受けるものではなく、生活基盤が安定し、再就職して要保護状態を脱すれば保護は打ち切りになる一時的なものであることを説明しました。
ニュースで報じられる集団申請者の中には、こうした人たちが数多く含まれます。もちろん、最初から生活保護の相談に来られる人も相当ありました。しかしそれも、病気で働けなくなって収入が途絶え、治療も出来ないで住居をなくしているような、深刻な事情のある人であり、国が保護するのは当然の方々です。
詳しく紹介することは出来ませんが、「仕事を探している」と相談を始めたところ、離職とともに住居やお金もすべて失って、将来への不安が強いストレスになり、精神的に非常に危険な状況にあると思われる方がありました。医師とも相談し、空きベッドを探していただき、緊急入院いただくことができました。このように、命にかかわる相談は多数行われたものと思われます。そうした相談活動に全労働は関わることが出来たのと同時に、相談者に寄り添い、相談者を救うことへの執念こそ必要であると、あらためて教えられました。

(5)供給基地としての役割
派遣村は日比谷公園内にあり、拠点は仮設テントで、事務機はほとんどありませんでした。全労働は、相談テント内の印刷やコピー、事務用品や机椅子、パソコン等を供給しました。一日に何度も村と書記局を往復し、全労働は相談テントの運営に相当貢献できたと思われます。

(6)保護申請書のFAX送信
実行委員会は、保護申請の希望者に、相談テントで申請書を記載させ、日付は相談日を記入した上で、その日の夜、東京都千代田区福祉事務所あてにFAX送信する方針を立てていました。これは、集団申請の5日の日付ではなく、さらに前日に福祉事務所に申請の意思が示された証拠を残し、保護決定日を少しでも早めようとするものでした。しかし、どこからFAXを送信するかは、開村当日に決まっていませんでした。そこで、全労働は地の利を活かし、書記局から送信することを申し出、毎日夜に、合計230人分のFAXを福祉事務所に送信しました。当初、福祉事務所のFAXに送信すると、電源が落ちているらしく送信できませんでした。全労働は東京都の電話番号案内のコールセンターを通じ、福祉事務所のもう1つのFAX回線が、千代田区福祉課のFAXであることを聞き出し、以降連日この番号に送信しました。この作業は、毎日20時30分頃になり、最終日は一覧表印刷などで、22時30分まで作業を行いました。

(7)派遣村設営・撤収作業
初日のテント設営作業や物資搬入、閉村後の撤収作業に従事しました。

 

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5 東京労働局の奮闘と引き継がれた全労働の活動

 1月5日から12日まで、村民は4ヵ所の宿泊場所に分かれて居住し、実行委員会の要請に応じ、東京労働局は各施設にそれぞれ3人以上の職員を派遣して職業相談を実施しました。この対応は、当初2日間実施し、その状況を見ながら後の対応を検討するとされていましたが、最終的には12日まで休日を含め途切れることなく実施されました。東京労働局はその場で、派遣村での全労働の活動を参考に、小型の写真用プリンタを購入し履歴書用写真を提供するとともに、履歴書用紙の提供も行いました。
村民はその間、生活保護の手続きやアパート探し、安定所の出向いての就職活動など、生活再建に踏み出しました。1月12日に開催された「年越し派遣村団結集会」では、湯浅村長の「生活保護を受けてアパートが決まったか決まりそうな人は」という問いかけに半数近くの村民が手を挙げ、村民の生活再建が力強く進んでいる姿が浮かび上がりました。また、すでに就職と住居が決定し、続々と宿泊施設から村民が出て行っている状況も報告されました。一方、健康上の問題等により自力でアパート探しが困難な村民も残されており、13日以降、実行委員会が都内で借り上げた旅館で、支援を継続することとされました。
こうした支援の一環として、17日午後と18日の終日、それぞれ午後9時までの日程で、あらためて法律家や労働組合役員による「何でも相談」が実施されました。これは、当初生活保護に頼らず、就職して生活再建を志していたものの、やはり再建には保護が必要である村民への対応や、入村当時は意識が及ばなかった前勤務先での未払い賃金の請求や、債務の整理などを目的に行われました。全労働は、東京基準支部と連携し、労働基準監督官ら計6名が相談員として参加しました。
この時点では、すでにアパート入居を終え、実行委員会の用意した宿泊施設を出た人も多く、村民の中でも体力が弱く、より条件の厳しい人が相談の中心でした。そのため、消費者金融などからの債務に関する相談が圧倒的多数となりました。また、数年にわたりネットカフェで生活し、新たに契約したアパートに住民票を移した途端に督促状が送りつけられたといった相談もありました。相談は、弁護士等債務問題の専門家が中心となりましたが、全労働も相談員の一員として加わり、債務整理の方法を相談者にアドバイスしました。

6 派遣村での経験を活かし、きめ細かな行政 運営展開が必要

(1)全国に支援を広げる必要性と労働行政の役割
今回の派遣村への入村者は、最終的に約500人となりました。しかしこれは、離職し住居を失った人々のほんの一握りに過ぎません。全国には、同じ境遇にありながら、何の支援も受けられていない膨大な方々が存在します。派遣村実行委員会が、全国の自治体に緊急の入居施設とワンストップの相談窓口開設を求めているのはきわめて当然の要求です。
同時に、全労働として、労働行政として対応すべき課題も浮かび上がりました

(2)職業相談等から要支援者を見いだす必要
派遣村にたどり着いた人々は、住居を失い食事にも事欠く状況に置かれていました。しかし、相談テントでまず最初に相談されたのは、「仕事を見つけたい」であったのは先に述べたとおりです。そこから考えるべきことは、全国の安定所に日々寄せられる相談者の中に、実は生活基盤を失い、本人の努力だけではどうにもならない人たちが必ず含まれているということです。そして、その状況を見つけきれずに、「今日は適当な求人がないので日をあらためて来てください」と返すことは、寒空の中に要支援者を放り出すことになりかねません。したがって、求職者の状況をできるだけ詳しく把握し、必要な支援を行うことが私たちに求められています。そこで困難となるのは、要支援者が集まった派遣村と違い、安定所には当面生活の心配はない求職者の方が圧倒的に多いことです。その方々に、「貯金はあるか」などと直接的に質問する失礼な対応は許されません。まずは、一緒になって再就職を支援するという気概を持って求職者に寄り添い、親身な相談をする中で、慎重かつ的確に、求職者の状況を把握していく姿勢が求められます。その際注意すべきは、生活支援が必要な求職者は、派遣切りにあった人たちだけではないということです。実行委員会が発表した相談内容の暫定集計結果でも、「派遣ではないが不況の影響で失業状態」との割合が2割となっています。かつて常用労働者であっても、雇用保険の給付制限中に蓄えを使い果たした人など、さまざまな理由で生活困窮に陥った方が存在するはずであり、離職理由や新規求職者などに限定して注意を払っても不十分であることを十分認識する必要があります。

(3)派遣村に学ぶ相談技法
派遣村で行われた支援活動の中で、最も緊急を要したのは、寝る場所や食事の提供、医療など、入村者の命を守る活動でした。これは当然のことであり、相談活動においても緊急を要する問題から、順次解決する手法が採られました。安定所をはじめとする労働行政現場で要支援者を把握した場合も、同様の対応をはかることが必要です。
生活保護無しには当面生きていけない求職者には、生活保護制度の案内が必要であり、労働行政職員は、制度の内容や申請方法、受給の要件などについて最低限の知識を身に付けておく必要があります。また、生活再建のためには消費者金融等からの借金がある場合にはその整理が、前勤務先に未払い賃金がある場合にはその請求を行うなど、把握すべき課題を頭に入れたうえで相談にあたる必要があります。私たちは法律家ではなく、生活保護の同行申請や消費者金融会社への対応が行えるわけではありませんが、本人が適切な支援を受けられるよう、法律家等に連絡し、支援をつなぐことが求められます。
緊急性の順に、相談で解決すべき課題をあげるなら、住居確保、必要な医療、賃金を得られるまでの生活費などが最優先の問題であり、これらは生活保護申請と一体で解決することが一般的と考えられます。これらの緊急課題が一段落すれば、次は安定した再就職にとりくむこととなります。そしてその次に、借金の整理や未払い賃金の請求、雇用保険の遡及適用による受給資格獲得などにあたることとなります。私たちは、こうした優先度にもとづく問題解決の順序も思い描きながら、要支援者が支援の手からこぼれないように対応する必要があります。
こうした支援の過程では、労働債権の請求や、雇用保険受給権の保障など、労働行政がみずからの職務として行う課題も含まれており、行政職員として権利擁護に万全を期すことは当然の責務です。
なお全労働として把握している範囲ですが、多重債務等の相談には、全国の「法テラス」(注3参照)事務所や弁護士会、司法書士会が相談に応じています。生活保護は自治体の福祉事務所に本人が申請します。「水際作戦」など、行政側の冷たい対応が問題になっていましたが、こんにちの社会的関心の高まりから、行政対応は改善されているようです。追い返されたり、申請書を渡さない、受理されないといった相談には、首都圏生活保護支援法律家ネットワークなど(注4参照)が応じています。

(4)派遣村を全国に広げる運動への結集
派遣村実行委員会は、1月12日に発表した「派遣村からの声明」などで、全国で同様の支援を行政の責任で行うことや、総合相談窓口を設置することを求め、企業に社会的責任を果たさせることや派遣法の抜本改正をもとめ運動することを明らかにしています。今回の派遣村を、「東京で起きた一つの事件」にしてはならず、歴史の転換点と言えるように運動を発展させることが重要です。全労働として全国各地で、この運動に結集するとともに、総合相談窓口の求めがあれば、積極的に応じることが求められます。

(5)厚生労働省が行うべきこと
派遣村での相談の中で、村民は過去の求職活動の中で、意外に安定所を使っていないとの印象を受けました。しかし考えてみれば、生活が困窮するにつれ、短期の就労で賃金を得る必要性に迫られることから、常用就職を前提とする安定所求人は、「使えない求人」であったものと思われます。今も多くの支援が必要な人たちは、安定所外で、たった一人で就職活動をせざるを得ない条件に置かれています。派遣村実行委員会が求める総合相談コーナーとは、厚生労働省の担う職業の安定と労働者の権利保障、最低限の生活保障、医療などの機能を、ワンストップで相談できる窓口に他なりません。その実現に、省当局は責任を果たす必要があります。あわせて、生活が困窮し、日銭稼ぎの仕事をしている人であっても、安定所に来れば生活保護と一体で、安定就職に支援する枠組み作りにとりくむことも重要です。これまで、住居喪失不安定就業者に対する就業確保対策が実施されていますが、都市部に限定されており、その全国展開と広報が必要です。
また、些細なことかもしれませんが、全労働が実施した履歴書用紙と履歴書用写真の無料提供は、経済的に困窮する求職者にとって有効な支援であることが明らかになり、全国の安定所でただちに実施すべきです。
そして最後に、企業の解雇や雇い止めが横行する中で、離職者が大幅に拡大しており、今も全国の安定所に求職者が列をなしています。この状況は、3月末に向け、ますます深刻化することが確実となっています。にもかかわらず政府は4月に、労働行政職員を大幅に削減しようとしています(都道府県労働局、安定所、監督署職員306人を削減)。こうした無謀な定員削減を中止し、厳しい雇用失業情勢に見合った、労働行政体制の緊急的な拡充をただちにはかるべきです。

注1 全労働関係の派遣村参加状況(延べ人数、本部把握分)
日比谷公園派遣村:秋田支部2、茨城支部1、東京基準支部1、本省支部1、本部27、東京職安労組2
派遣村「何でも相談」:東京基準支部4、本部2
(1月17日、18日)

注2 「派遣村」相談票の暫定集計結果(1月15日派遣村実行委員会発表より)
派遣切りで仕事および住居を喪失     21%
日雇い仕事をしていたが仕事がなくなった 16%
派遣ではないが、不況の影響で失業状態  20%
以前から野宿状態            9%
生活保護受給させてもらえない      3%
その他(未分類)            28%
無回答                 3%

注3 法テラス (法テラスHPより)
法テラスは“全国どこでも法的トラブルを解決するための情報やサービスを受けられる社会の実現”という理念の下に、国民向けの法的支援を行う中心的な機関として設立されました。法テラスは「司法制度改革」の三本柱のひとつです。正式名称は「日本司法支援センター」です。
相談電話 0570−078374(平日9:00〜21:00 土曜9:00〜17:00)
HPにて全国の地方事務所一覧が公開されています。

注4 ・首都圏生活保護支援法律家ネットワーク(下記以外の地域)
048−866−5040(平日10時〜17時)
・東北生活保護利用支援ネットワーク(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島)
022−721−7011(平日13時〜16時)
・生活保護支援ネットワーク静岡(静岡)
054−636−8611(平日10時〜17時)
・東海生活保護利用支援ネットワーク(愛知、岐阜、三重)
052−911−9290(火・木13時〜16時)
・近畿生活保護支援法律家ネットワーク(滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山)
078−371−5118(平日10時〜16時)
・生活保護支援九州ネットワーク(福岡、大分、長崎、佐賀、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄)
097−534−7260(平日10時〜17時

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