働き方・労働法制 −労働時間、賃金、安全衛生、労災補償など

2004年 4月
労働安全衛生法の改正に関する全労働の考え方

政府は、本年3月4日、「労働安全衛生法等の一部を改正する法律案」(以下、法律案)を閣議決定し、通常国会に提出した。政府は法律案の提出理由として、「働き方の多様化が進む中で、製造業等における重大な労働災害の頻発、長時間労働に伴う脳・心臓疾患や精神障害の増加など労働者の生命や生活にかかわる問題が深刻化していることに的確に対応していくことが喫緊の課題」「事業者の自主的な安全衛生活動の促進、危険・有害な化学物質の表示制度の改善、製造業等における元方事業者による作業間の連絡調整の実施など事業者による措置の充実を図るとともに、医師による面接指導の実施等により過重労働・メンタルヘルス対策の充実を図る」と説明している。
法改正作業に先だって、2004年8月、「今後の労働安全衛生対策の在り方に係る検討会報告」(以下、安全衛生対策検討会報告)が公表された。そこでは、企業組織面や社会経済面から重大災害の増加や労働災害の高止まりの原因を詳細に分析ししている。その上で経営トップの安全意識や安全活動への関与の低下、安全衛生委員会の活動低下・マンネリ化、企業の安全衛生スタッフの現場力・人材力の低下、下請企業との連携不足、アウトソーシングや分社化による組織形態・就業形態の多様化に安全衛生対策が遅れていることなど多岐にわたる問題点を指摘するとともに、問題の解決策を具体的に提起した。
また、同じく8月に、「過重労働・メンタルヘルス対策の在り方に係る検討会報告書」(以下、過重労働等検討会報告書)が公表された。ここでは、産業構造の変化や人事労務管理制度の変容、労働時間の現状などの面から過労死・過労自殺などの原因を詳細に分析し、過重労働による健康障害と労働時間管理・人事労務管理との間の密接な関連性の存在、労働時間管理や労働者の健康状況の把握と適切な措置の重要性などを指摘している。あわせて、厚労省の「過重労働による健康障害防止のための総合対策」通達(以下、過重労働通達)に基づく健康確保措置の実施、自殺防止も視野に入れたメンタルヘルス対策、産業保健活動の充実など、多岐にわたる解決策を具体的に提起した。
しかし、上記2つの検討会から示されたこれらの解決策は、2004年12月の労働政策審議会建議「今後の労働安全衛生対策について」(以下、建議)の段階で、かなりの部分が切り捨てられ、法律案の段階に至ってはさらに狭小なものとなっている。そのため、政府自ら提案理由で指摘した問題点を解決するに十分なものとは言い難い。
以上の観点から、今後、重点的に検討すべき課題と問題意識を明らかにする。

1.多発する重大災害や高止まりの労働災害に対する法的対策に関して

(1)労働災害防止対策として過大に評価された災害リスク管理

1)見送られた安全衛生委員会の活性化や安全衛生担当者の教育の充実対策

安全衛生対策検討会報告や建議が、安全衛生委員会活動の活性化、安全衛生管理組織の権能強化、安全衛生担当者の教育の充実などを提起したにもかかわらず、法律案28条の2は、リスクマネジメントや労働安全衛生マネジメントシステム(以下、OSHMS)といった災害リスク低減策を専ら重視し、しかもその採用・導入を単なる努力規定に委ねるという内容となっている。確かに、企業内での労働安全衛生活動は、労働契約上の安全配慮義務と、労働安全衛生法(以下、労安法)上の公法的義務という2つの観点に立って、企業が自発的・自主的に行うべきのものである。そうした義務履行の手段として、リスクマネジメントによる危険・有害性の調査・分析と、それに基づく危険・有害性の低減措置や、OSHMSによる計画・実施・評価・改善を的確・確実に実施し、生産現場に定着させるのであれば、労働災害や重大災害の防止対策として一定機能しうることを否定するものではない。
しかし、現実には、こうしたシステムを安全衛生管理に導入できるのは、事実上、資金力・技術力・スタッフに恵まれている大企業に限られるのであって、労安法に規定される最低限の安全衛生基準すら遵守が容易でないその他の企業にとっては画餅に等しいものである。
したがって、こうした新たなリスク低減策は大規模製造業等で多発している重大災害の抑制策として一定機能し得ても、労災死傷事故の圧倒的多数を占める中小企業等における労災防止策としてはあまり期待できない。

2)リスクマネジメントやOSHMSは企業に定着するか

法律案88条1項ただし書は、リスクマネジメントやOSHMSによる労災防止活動に積極的にとりくむ企業に対するインセンティブ措置として、現行法88条に規定する建設物・機械等の設置・移転・変更工事や大規模建設工事に係る事前審査(88条届等)を免除し、事後報告へと変更することとしている。現行法88条の事前審査制度は、労働者の健康・安全を確保することを使命とする労働基準行政にとって、建設物や機械の本質的安全性を事前にチェックする上で重要な手段である。しかし、これまで財界は政府に対し、規制緩和要求の一環として行政の事前介入から事後的監督への転換を強く要望してきたところであり、今回の法改正もこうした流れに沿ったものといえよう。
また、法律案88条1項ただし書は、法律案28条の2と相まって災害リスク管理の改善・向上を期待しているが、果たして期待どおりの結果を得ることができるのであろうか。ここ最近を振り返って見ても、わが国を代表する巨大企業の下で、企業倫理やコンプライアンス(法令遵守)に疑いの目を向けざるを得ない事件が続発している。こうした事件の多くは、地域住民・労働者の健康・安全の確保や環境の保護よりも企業活動の短期的な経済合理性を優先したことにほかならない。
今回の法改正にあたり、経営側が安全衛生活動のとりくみ強化に新たなインセンティブを要求しているということは、見返りがなければ安全衛生活動など真剣にとりくむつもりがないということを如実に表しているともいえる。わが国企業社会のこのような風潮の下で、本当に自発的・自主的にリスクマネジメントやOSHMSが採用・導入され、実効あるとりくみがなされるのか、大いに懸念されるところである。

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(2)見送られた製造業等の元方事業者への公正な安全衛生管理責任の再配分

親会社と分社化した子会社が同一場所にある場合などにおける一体的安全衛生管理を推進するため、安全衛生対策検討会報告や建議は、親会社の安全・衛生管理者が子会社の安全・衛生管理者や安全・衛生推進者を兼務するよう指摘した。しかしながら法律案にはこの点が触れられておらず、製造業等の親会社に対する公正な安全衛生管理責任の再配分を追求する内容となっていない。
現行法は、事業場単位ごとに法令を適用する方式を採用している関係上、事業を行う場所、事業内容や使用設備、就業労働者が分社化前と全く同じであっても、分社化した各企業単位ごとに法所定の安全衛生管理体制を組織し、個々に安全衛生活動を行わざるを得なくなるのである。ましてや、分社化によって当該事業場の労働者数が50人未満となれば、安全・衛生管理者や産業医の選任、安全衛生委員会の組織まで不要となる。法律案は、従前の親会社が行う統一的で一貫性をもった安全衛生活動を困難にし、その結果、安全衛生水準は大幅に低下せざるを得なくなるのである。
このように、現行法の下では、親会社たる元方事業者は、企業の分社化と請負契約を利用して子会社に従前の業務内容を行わせることによって、仕事の完成と利益は享受し、負担すべき労安法上の安全衛生責任は免れられるのである。したがって、親会社たる元方事業者に包括的な安全衛生責任を負わせないということは、実質上の利益の帰属先が労災防止・労災補償責任を負担すべきとの社会的公平さや公正さが損なわれた実態を放置したままになろう。

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(3)拡大するアウトソーシング下での混在作業で多発する労災防止に未対応

安全衛生対策検討会報告では、製造業等を中心にアウトソーシングが拡大し、同一作業場所で指揮命令系統の異なる労働者が混在して作業することによる危険の増大を指摘し、製造業等の元方事業者が一元的な連絡調整など統括的安全衛生管理を行うべきと提言した。しかし、建議や法律案30条の2では、建設業・造船業の元方事業者に対する労安法上の特別規制のような統括的な安全衛生対策は示すことなく、わずかに、作業間の連絡調整・合図の統一等の措置を課すにとどめている。
今や建設業・造船業に匹敵するほどの多数の下請事業者を重層的に利用する大規模製造業等の元方事業者に対し、統括的安全衛生責任を課さなければ、「元方事業者の講ずべき措置等」として現行労安法に定められた下請請負人等への指導・是正指示義務(29条1項・2項)や、下請請負人の指示受諾義務(同条3項)に関する規定は、十分に効果を発揮しないといえよう。

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2.深刻な社会問題となり、早急な対応が急がれる過重労働対策に関して

(1)後退・縮小する過重労働対策の内容・水準

1)医学・疫学的に確立している過重労働による健康障害防止対策

平成13年に改定された過労死認定基準に即して発出された過重労働通達は、時間外労働時間数を一定期間ごとに定量的に区分したうえで、事業者に対して、(1)1か月45時間を超える時間外労働を行わせた場合に当該労働者の作業環境・労働時間・深夜業の回数・健康診断結果等の情報を産業医等に提供し、事業場内の健康管理ついての助言指導を受けること、(2)1か月100時間を超える時間外労働が認められた場合、又は2か月から6か月間の平均1か月の時間外労働が80時間を超えると認められた場合には、当該労働者に産業医等の面接による保健指導を受けさせることを要請してきた。
過重労働等検討会報告書もまた、長時間・過重労働による脳・心疾患(過労死)や精神障害(過労自殺含む)が労災死亡者の10%に至るなど極めて深刻な状況にあり、過重労働による健康障害の防止には、労働者に対する脳・心疾患関連項目を含む健康診断の実施、検診結果に関する医師からの意見聴取、健診実施後の措置、保健指導の実施などが健康管理の基本であると位置づけるとともに、特に長時間労働の抑制とハイリスクグループに対する産業医等医師の面接指導を重視している。

2)過重労働対策の範囲・内容を大幅に絞り込もうとする建議と法律案

ところが、建議は、「医師による面接指導」を行うべき対象労働者について、「(1)1週当たり40時間を超えて行う労働が1月当たりで100時間を超え、(2)疲労の蓄積が認められる者であって、(3)面接指導に係る申し出を行った者」と3つの要件を満たす労働者に限定し、過重労働通達に示されている、(1)1か月45時間を超える時間外労働を行わせた場合に産業医等による事業場内の健康管理に関する助言指導と、(2)2か月から6か月間の平均1か月の時間外労働が80時間を超えると認められた場合の産業医等の面接による保健指導というの2つの過重労働対策について立法化を求めていない。
これに関して、法律案66条の8は「事業者は、その労働時間の状況その他の事項が労働者の健康の保持を考慮して厚生労働省令で定める要件に該当する労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師による面接指導・・・を行わなければならない」とし、また、法律案66条の9は「事業者は、前条第一項の規定により面接指導を行う労働者以外の労働者であって健康への配慮が必要なものについては、厚生労働省令で定めるところにより、必要な措置を講ずるように努めなければならない」と規定するだけで、具体的要件を明らかにはしていない。

ア 早い段階からの過重労働対策の重要性

建議は、医師の面接指導を受けさせる労働者の第1の要件を定める際、「1週当たり40時間を超えて行う労働が1月当たりで100時間を超える」場合のみを重視し、1か月45時間を超える時間外労働を行わせた場合及び2か月から6か月間の平均1か月の時間外労働が80時間を超えると認められた場合については評価しないという態度をとっている。しかし、これら2つの場合の過重労働対策も最新の医学的知見に照らして健康障害防止に有効であるとして採用されたものであるから、今になって明快な理由も示さずして排除することは客観性、合理性に欠ける。省令制定の段階では、建議段階で排除された2つの過重労働対策を盛り込むべきであろう。

イ 誰が認定するのかわからない疲労の蓄積度

建議は、医師による面接指導を受けさせる労働者の第2の要件として「疲労の蓄積が認められる者」を挙げている。しかし、いかなる労働内容や労働環境にあり、どれぐらいの時間外労働時間数や休日労働日数に達し、どの程度の期間継続することが必要で、労働者の状態がどうなれば「疲労の蓄積」を認定するのか、また、誰がどのような方法で認定するのか全く明らかにしていない。
認定する立場にあると考えられるのは、身近な関係にある事業者や同僚労働者が考えられるが、労働者に日常的に長時間残業を行わせ、過重労働対策を講じることが法的に求められる事業者は、苛酷な労働実態をよく知っているだけに、労働者が疲労の蓄積状態にあることを積極的に認めるとはとても思えない。仮に労働者が意を決して率直に事業者に疲労の蓄積が限界に達していると申し出たとしても、「気のせい」「気合いが足りない」「怠け性」などと一蹴されかねない。
ならば、過重労働等検討会報告書が提言するように「周囲の者が労働者の健康の異常を疑ったとき」でも疲労の蓄積ありと認めることはどうか。確かに第三者の立場から労働者の疲労の蓄積度を測る方法として有効なように見えるが、専門的知識を有しない者の判断だけに主観性やあいまいさを排除できないこと、また、同僚労働者も企業内の自己の立場を考慮し、消極的な態度をとることもあるので、必ずしも「周囲の者」が積極的な役割を果たすとはいえない。
結局、過重労働通達が採用する月間及び一定期間ごとの平均時間外労働時間数の区分をもって疲労の蓄積度を推定するのが、もっとも客観的、かつ合理的であると見るべきである。

ウ わが国企業社会の実態を顧みない要件設定

建議は、医師の面接指導を受けさせる労働者の第3の要件として「面接指導に係る申し出を行った者」を挙げている。しかし、過酷な現代企業社会の下で決して忘れることができないのは、自らの健康に不安を感じながらも、それを企業に容易に申し出ることができない労働者の立場である。
リストラ攻勢の下で、財界は、年功序列型賃金と終身雇用制に代えて「成果主義」賃金人事管理を導入し、賃金決定と雇用継続を労働者間競争に委ねた。こうした労務管理が、労働者に異常な長時間労働、成績評価への不信や雇用不安をもたらし、また、強度のストレスにも原因となっている。閉塞した職場環境で行き場を失ったストレスは、より立場の弱い労働者に向けられ、職場でのパワーハラスメントやいじめという形で発散されているのである。しかし、それとは逆に、産業医による職場巡視や健康相談など過重労働やメンタルヘルスなどのサポート体制の整備は常に軽視され、後回しにされてきた。
こうした競争至上主義の苛酷な経営方針の下で、労働者が医師による面接指導を申し出るということは、一面で、これまでの企業の働かせ方に対し正面から批判することを意味すると同時に、申し出た労働者は競争社会の「敗北者」「落伍者」としてリストラ対象組に組み込まれることをも覚悟せざるを得ないのである。また逆に、面接指導を申し出なければ、過重労働による健康障害・精神障害が発生したとしても、それは労働者の選択の必然的帰結であると結論づけられかねない。つまり、どちらを選択しても労働者の「自己決定」のせいにされ、その結果は労働者の「自己責任」と突き放されることになる。もっとも、ここでいう「自己決定」とは従属労働の下で抑圧された意思に基づくものであって、選択や決定は表面的なものにすぎない。このように、労働者の申し出というのは、一見、労働者の自己決定権を最大限尊重するように見えても、実は労働者からの申し出を封殺する方向にしか作用しないのである。

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(2)中小企業への過度な配慮

現行労安法は、常時50人以上の労働者を使用する事業者に産業医の選任を義務づけてきた関係上、労働者50人未満の企業では、労働衛生管理に産業医を活用するノウハウや経験が不足すること、日本医師会の認定産業医制度が発足して日もまだ浅く、産業医資格を有する医師が十分な数にまで達していないこと、医師による面接指導に要する経済的負担といった点を考慮し、法律案附則2条は、平成20年3月末まで労働者50人未満の中小企業には医師による面接指導の義務づけを適用除外するとしている。
産業医制度を支える体制の不備や経費増への配慮とはいえ、過重労働による健康障害の危険性は企業規模と関係ないうえ、過労死・過労自殺として労災認定された労働者数が、労災死亡数の10%を占めるに至った今日、企業規模や経営力の脆弱さを理由に中小企業労働者の生命・健康に対する危険を容認すべき合理性はない。こうした適用除外を容認することは、労働者間に労働基準の「二重基準」(ダブルスタンダード)を形成するものであって、法の下の平等に反すると考えられる。

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3.労安法改正が与えるその他の影響に関して

(1)労働保護法の本質を変質させるおそれが潜む労安法改正

憲法27条2項の最低労働条件法定主義の要請を受けて最低労働基準や安全衛生措置を定め、行政監督と罰則をもって履行確保を図ることを原理とする労働保護法の世界に、「労働者の申し出」なるものを持ち込むということが何を意味するか。労働者が希望して「申し出」ない限り、企業経営者は法定労働時間や割増賃金などの最低労働条件を遵守せず、安全装置や健康診断など安全衛生措置を講じなかったとしても、何ら法的責任を問わないということにつながる。今回の労安法改正によって、たとえ一つの条文であってもこうした「労働者の申し出」を法的要件とすることを認めることは、労安法だけに限らず労働保護法の基本的性格を大きく変質させる一契機となるのではないだろうか。同時に、こうした方法がこれからの労働関係法の見直し手段として援用され、拡大することが危惧されるのである。

(2)労災民事裁判への影響

さらに、法律案66条の8が及ぼす影響は、上述した過重労働による健康障害防止対策や労働保護法のあり方の問題にとどまらず、労災民事訴訟の判決にまで及ぶおそれがある。医師による面接指導を申し出ないまま過重労働による健康障害が発生し、労働者・遺族等が企業を相手取って損害賠償訴訟を提訴する場合、被告企業が労働者が面接指導を申し出なかったことに「過失」があると過失相殺を主張し、裁判所もまた労働者の健康保持の点で過失を認定しかねないなど、損害賠償額が減殺される可能性が否定できないのである。

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