メッセージ フロム ザ フロント

誰がための国公法改正

 

これから審議が始まる国家公務員法改正案だが、たいへん危惧している。

 

法案の目玉の一つが、「幹部職員」の取り扱いである。私自身、幹部職員ではないし、幹部職員になれる可能性もないのだが、行政の中枢である「霞ヶ関」で働く者の一人として、この法案で本当に行政運営はよくなるのだろうか、と首を傾げたくなる。

 

まず、法案は、幹部職員を「長官、事務次官、局長、部長とそれらに準ずる官職で政令で定まるもの」(約600人〜1000人らしい)と定義した上で、これらの幹部職員を「同一の職制上の段階に属するものとみなす」とする。

つまり、任命権者の意向で事務次官から部長への異動も可能となるが(但し、予め内閣総理大臣又は内閣官房長官との協議を要する)、それでも、降任、つまり降格人事ではない、と言いたいらしい。

しかし、組織図を見ても、事務次官の指揮下に局長がいて、局長の指揮下に部長がいるのだから、これを降格人事ではないというのは、詭弁としか言いようがない(実際、年収ベースで数百万円のダウンらしい)。

 

また、内閣総理大臣(内閣官房長官に権限委任)は、幹部職員について、定期的又は任命権者の求めがある場合等に「適格性審査」を行うが、法案では、これに不合格となった幹部職員の降任又は免職を可能とする(この場合は、国公法78条の分限に該当するから、人事院への不服申立可)。

しかし、この「適格性審査」の基準となる「標準職務遂行能力」は、「高い倫理観を有する」などといった曖昧なもので、実質的な能力の実証を伴ったものと果たして言えるのだろうか。また、如何に有能な内閣官房長官であっても、幹部職員全員の能力の正確な把握は困難ではないだろうか。

 

こう見てくると、法案がめざすのは、情実や党派性を優先した人事を可能にする「猟官制」の復活と言うことになるのではないか。

18世紀のヨーロッパで採用されていた「猟官制」が、行政の非効率を招き、腐敗を広げたことは有名で、わが国でも大正から明治初期にかけて任命権者の自由任用の範囲が広がり、弊害を生んだ。今だって「情実人事」がちらつくなら、a)政権幹部の意向に沿わない助言を率直にすることができなくなる、b)公平に実施すべき行政執行が政権幹部の意向等でゆがめられるなどの事態が一挙に広がるだろう。

 

先進諸国の公務員制度の歴史は、こうした弊害を克服し、「成績主義の原則」(能力の実証に基づく任用)、「身分保障の原則」(不利益な身分上の処分は一定の要件に該当しない限り、意に反して不可)を確立する営みであったと思う。

 

 官僚バッシングこそ「国民の喝采の的」という声も聞こえてきそうだが、公正な公務員制度とは何なのか、国民の真の利益とは何なのか、冷静な議論が求められると思う。(I)

 

 

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