全労働の活動・とりくみ

行政民主化を考える
全労働省労働組合元執行委員長 藤田 忠弘

 全労働青年協議会は6月25日〜26日、東京都内で第4回全国業務研究青年集会を開催しました。同集会では、全労働の行政民主化のとりくみの到達点等を学ぶことを目的に、全労働元中央執行委員長の藤田忠弘氏を招いて記念講演を受けたので紹介します。

1 はじめに

 ひと月ほど前、全労働本部から話をするようにとの依頼をいただきましたが、率直に申し上げて戸惑いました。二の足を踏んだと言ったほうが正確かもわかりません。と申しますのは、私が現役を離れて10年が経過します。この10年間の変化は、大変なものだと思います。そういう変化に即した考え方がまとまっていないということがあります。ですから、お話しも古色蒼然とした、かびの生えたようなものしかできないのではないか、そういう不安があったわけです。しかし、「それでもいい」と言っていただきましたので、勇を鼓して今日は罷り越したところです。

 いまの公務員の皆さんが置かれている状態は、土砂降りの公務員攻撃、集中砲火を浴びている状況だと思います。ですから、ともすれば萎縮をしてしまって、世間に向かってモノを言うなんてことをしてはいけないのではないか、そんな気持ちになってしまいそうな日常ではないかと思います。

 そういう中にあっても、このように全国から80名ですか、たくさんの方がこういう集会に参加をされる、これはなかなか素晴らしいことだと思います。

 ところで、私がいまもこだわっている「労働省が消えた日」の思いについて、ひとこと申し上げておきたいと思います。

 「労働省」という独立の役所が消えたのは、2001年1月6日です。つまり、厚生労働省がスタートした日です。私はその前年に退職していましたが、この時に抱きましたのは、これは歴史の歯車が逆回転をしているな、という思いであります。

 皆さんご承知の通り、戦前・戦中の労働行政は昔の内務省、つまり警察などを管轄していた役所、それから(時代を)少し下ると厚生省が所管をしていました。それが敗戦を機に、つまり1947年9月1日に「労働省」が日本の国にはじめて誕生したわけです。とうとう日本も働く者が国の主人公、あるいは社会発展の原動力である、そういう認識に到達したのだと私どもは思いました。そういう認識の下に、その国の主人公である労働者と真正面から向き合って、その保護のために仕事をする役所が生まれたことは、日本の民主主義にとって素晴らしいことだと評価をしたわけであります。

 ところが、「厚生労働省」が創設されました。私は誤解を恐れずに言いますが、厚生省に吸収合併されたと思っています。ということは、働く者の保護を担う行政を、この国が相対的に軽視をする方向に向かうのではないか、こういう恐れを抱いたわけです。その意味で、歴史の歯車が逆回転をはじめたという思いを抱いたわけです。

 そう申し上げたからと言って、いま、もう一回「労働省」を独立させることを当面の目標として掲げて、それが運動になるかというと、それはなかなか難しいように思います。もちろん、ずっと先の話としてそういう時期を迎える時が来るかもしれません。しかし、そういう時期を迎えるためにも、いま必要なことは、戦後、労働省がスタートした時の精神に立った仕事の中身を作り上げていくことであり、そういうことのためにわれわれが大いに汗をかく必要があるのではないかと思います。

この記事のトップへ

2 行政民主化とはどういうことだろうか

(1)国民本位の行政の実現

 次に行政民主化とはどういうことだろうか、これを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 ひとことで言えば、「国民本位の行政を実現する」ということだと私は思っています。少し掘り下げて申し上げたいのですが、日本国には立派な憲法があります。この憲法には、103条にわたる条項があります。そのうちの約30項目にわたって基本的人権が規定されています。これは世界でも屈指のものです。行政民主化とは、この約30項目にわたる国民の基本的人権を具体的に実現することだと思っています。労働行政に関わって言えば、ご承知の通り25条の生存権、22条の職業選択の自由、27条の働く権利、28条の労働三権、これらが中心になろうかと思います。しかし、これらは憲法に書いてはありますが、それが具体的に行政を通じて実現されているかというと極めて不十分ではないでしょうか。それを具体的に実現をすることがなければいけないと思っています。

 別の言い方をいたしますと、行政というものに対しては、国民はたくさんの要求と期待、不満などを持っています。ですからこの要求や期待、これから逃げるのではなくて真正面から向き合い、それを解決をする、あるいは実現をする、そういう努力をする、こういうことが「国民本位の行政を実現をする」ということになるのではないかと思っています。

(2)行政民主化は公務員労働組合運動の原点

 そういう前提に立って、この「行政民主化」というのは、実は、われわれが参加している公務員労働組合の運動の原点であるという点を是非確認をしておきたいと思います。

 いま全労働が参加している産別組織は国公労連です。この国公労連のルーツは全官労と言います。これは略称ですが、正式には全国官庁職員労働組合協議会と言いまして、1946年にスタートした組織であります。この組織がスタートの時に、すでに綱領、つまり、組織の理念、目標などをコンパクトに書いた文章でありますが、この綱領の中の三本柱のうちの一つとして、表現は「官庁の徹底的民主化」、そういう言い方でいまで言う「行政民主化」が書かれていたという歴史があります。

 全労働も1958年、すでに半世紀経ちますが、この年にいまの単一全労働が生まれたわけですが、その単一全労働が掲げた綱領があります。この中にも、全労働の場合には四本柱、そのうちの一つに「真の労働行政の実現を期す」、こういう表現でやはり「行政民主化」をうたい込んでいたわけです。そういった意味で、「行政民主化」というのはわれわれ公務員労働組合運動の原点なのだ、ということをご確認頂けたらと思っています。

(3)現在に引き継がれている二つのスローガン

 そういう考え方、精神というものは、現在も二つのスローガンに引き継がれていることを合わせてご確認いただきたいと思います。

 そのスローガンの一つは、「憲法をくらしと職場、行政の中に生かそう」というものです。これは国公労連が提唱したスローガンです。これが定式化されたのは1980年代です。当時は「中曽根臨調」と言いまして、当時の中曽根総理大臣が音頭を取って「行政改革」が進められた時期だったわけです。その時の運動の中で打ち出したスローガンです。言わんとしていることはおわかりの通りです。

 ひとこと追加をしておきますと、このスローガンは憲法15条で言っている「全体の奉仕者」という精神、それから、99条でうたっている「憲法尊重擁護の義務」、この二つの精神を一体的にまとめた上げたものだと思っています。

 もう一つのスローガンは「二つの責任と一つの任務」。これも別に難しいことを言っているわけではありません。

 二つの責任とは何か。一つは、公務員労働者とその家族の利益を守る責任です。もう一つは、国民の皆さんの利益を守るという責任です。この二つの責任を対立するものとしてではなくて両立するもの、一体的なものとして認識し、その責任を果たすために国民の皆さんと手を結んで運動しよう、こういう考え方です。

 近頃、皆さんは「統一戦線」という言葉をほとんどお聞きにならないと思いますが、一致する目標、要求に基づいて、立場の違い、考え方の違いがある個人、あるいは団体であっても、その一致する目標、要求を実現するためには、それを乗り越えて一緒になって運動をしよう。平たく言えばそういう考え方です。そういうものの考え方をしっかりと打ち出したスローガンだったと思います。

(4)行政民主化の考え方を要約した全労働の行研スローガン

 以上申し上げてきたことを全労働は先進的に受けとめて、自分たちの運動の中に取り入れてきた。

 全労働は、こういうスローガンを掲げてきました。

・今日一日を国民とともに生きよう。

・今日一日を国民とともに考えよう。

・今日一日を国民とともに働こう。

・われわれ公務員労働者は今日一日を国民とともにたた かいぬこう。

 これは全労働がとりくんできた行政研究活動のスローガンになっているものです。行政研究活動の歴史を振り返れば、今日までの全労働の運動の成長ぶり、変化がお分かりいただけると思います。

 第1回の全国行政研究集会が開かれたのは1960年です。ちょうど50年前になります。もちろん皆さん方はまだ生まれていらっしゃらない遙か昔です。しかし、知識としてはいろいろご存じだと思います。1960年という時期は、最近、普天間問題でクローズアップされてきました日米安保条約の改定反対。もっと言えば日米安保条約を廃棄しろというたたかいがありました。

 また九州の三井三池炭坑、これが閉山になろうとする時です。エネルギー政策の転換を契機とした、炭坑つぶしがあったわけですが、日本の労働組合のたたかいが、戦後一番高揚した時期であったわけです。そういう背景の中で全労働を含む日本の公務員労働組合が、それぞれ行政研究活動にとりくみはじめたのです。学校の先生も日教組、いまは全教があります。それから自治体の職員の労働組合の自治労、いまは自治労連があります。

 こういった地方公務員の労働組合がまず1950年代から始めました。そして国公の中ではわれわれ全労働とか、裁判所の労働組合である全司法、税務署の労働組合である全国税、それからいまは農水省、昔は農林省だったのですが、そこの全農林等々、公務員労働組合が相次いで行政研究活動に着手する流れがありました。

 そこで全労働が行研集会をやろうとした直接的な動機についてです。1960年当時、すでに労働行政は「反動化」をはじめました。つまり、国民の願いに背を向ける方向に向かいはじめました。そういう中で労働省の職安当局が「職業研究発表大会」を全国版としてやろうとしたわけです。そういうことだけを許していたのではこの国の労働行政はもっともっと揺らいでいくのではないか。ここはひとつ、労働組合が自分たちの力で行政内容を研究するというような活動をとりくまないといけないということになり、「全国行研集会」を開いたという経過があります。

 その当時は、先ほど紹介をしましたスローガン、「今日一日を国民『とともに』生きよう」というところが「ために」という言葉になっていたのです。それ以下みんな「ともに」が「ために、ために、ために」という表現になっていたわけです。

 それが13年後の1974年になって、ここに掲げてある「ともに」というスローガンに変化をしていったのです。端的に言えば、「ために」というのはやはりお役人的すぎないか。そこには「国民の皆さんとともに運動をする、解決のためにともにたたかうという立場がないのではないか。われわれの活動はそういう方向に向かっていくべきではないのか」というような議論があったわけです。そういった議論を経てスローガンが変わったとことをぜひこの機会にご承知いただけたらと思います。

 そういう変遷の過程で、全労働が最初の大きなとりくみとして、「行政酷書活動」をとりくみました。こういう書籍をご存知でしょうか。『これが労働行政だ』というタイトルで、分厚いもので約500ページあります。これを1974年、全労働が発行したのです。これは単なる内部告発ではないのです。お帰りになって組合の事務所へ顔を出されれば必ず1冊は支部にありますから、見ていただければと思います。

 参加したのは、当時約2万の組合員だったのですが、そのうちの6000人。約3割の方が本部の求めに応じて、本部が配布をした原稿用紙に自分でペンをとって、自分の思いを書かれ、ここに収録をされたわけです。単なるグチもあります。あるいは上司の悪口に止まっているものもあります。

 しかし中には、どうしたら現状を変えることができるか、このようなことにも及んで書かれているものもあります。その意味では、打開の方向と言いますか、解決の方向をこの中から掴みとることができるものとして、これが発行されたのです。

 ちなみに、酷書のまえがきに詩が書かれています。その詩は当時、全労働本部の調査部長をしていた方が作ったものですが、その中にこの酷書に込めた当時の全労働の思いがこもっていますので、その部分だけを紹介しておきます。

という下りがあります。こういうところに当時の先輩の皆さんが込めた思いが集約されているのではないかと思います。

 いまも皆さんは運動を立派に発展させ、いろんな政策提言が発表されています。そういう形でこの活動は脈々と引き継がれてきていると思います。

この記事のトップへ

3 どういうことをやればいいのか

(1)行政民主化のとりくみの二つの柱

 ではどういうことをすればいいのか、私は行政民主化のとりくみには二つの柱があると考えております。

 一つの柱は何か。

 10年ぐらい前の事例になりますが、大企業をはじめとして、広範にリストラが始まりました。そうすると、会社都合でやめているのに、離職票に「自己都合退職」と書いたものを持って来られる求職者がかなりいるという事実がありました。

 当時、青森支部だったと思いますが、ここはひとつ「離職理由を見直す運動をやってみたらどうか」と提起をされて、青森支部は支部ぐるみでそういうとりくみをされたと思います。実際、そうしてやってみると、実は「会社都合」だったということがわかるわけです。そうすると、窓口に訪れた求職者の利益を具体的に擁護したことになるわけです。「現行制度の枠内で最大限の努力」をするという方向です。そういった方向で知恵を出してみる、力を出してみることも必要ではないか。

 これにはわれわれの苦い反省があります。これもよくお聞きになっていると思いますが、昭和38、9年の頃、雇用保険の「給付適正化通達」が本省から出まして、給付制限の件数を上げろという「尻たたき」があった時にこう言われました。「カラスが鳴かない日はあっても、職安で女子受給者が泣かない日はない」、これは当時の一般新聞が書いた記事です。「鬼や警察より怖い職安」、こういうふうに呼ばれた時期がありました。そういうことを二度と繰り返してはいけないという深刻な反省がその前提には座っています。

 それから二つ目の柱です。

 「法律制度そのものを改善・改革するための努力」という方向で、現場で働く職員は、どういう関わり方をすればいいのかという問題です。ここでは簡単に申し上げます。われわれは、現に法律、規則、通達のもとに縛られています。良くも悪くも上司の命令に従わなければいけないという立場にあります。

 そういう立場にある者が、「この法律を変えろ」という運動の先頭に立つというのは中々むずかしいものがあります。しかし、国民の皆さんのそういう運動、あるいは運動をする母体を作っていくために専門的な立場から知恵を出したり、力を貸したりということはいくらでもできるのです。現にいまの全労働も『季刊労働行政研究』等を通じて様々な発信をしています。読ませてもらって、私がやっていた時代と比べて随分、進歩・成長しているものだなと思っています。あのような活動を通じて法律、制度そのものを変えるための運動を作り上げていく過程にしっかりと参画していく。そういう役割を果たしていかなければいけないと思っています。

 

(2)これらと一体的に追求すべき諸とりくみ

 ?自己変革の努力、?職場で日常的に仕事のことを語り合う努力、?労働組合を強める努力。これらが土台と言ってもいいと思います。精神講話的になって恐縮ですが、これらを貫く土台は、憲法15条の「全体の奉仕者」という立場をいかに実践をするか、そこに尽きると思っています。

 まず第1の「自己変革の努力」です。私もそうでしたが、公務員になった時、はじめからこういう目的を持って、こういう労働行政にしようなどときちんとした考え方を持って入った人は少ないと思います。中には立派な仲間もいらっしゃると思います。私の経験だけでそういうことを言うのは失礼かもしれませんが、人間は変わるものです。日々いろいろと悩み、苦悩を重ねていく過程で変わっていくものです。ズバリ言わせてもらうと、変わらなければその人は見込みはない、と言ってもいいと思います。

 つまり、自分がいまやっている、雇用保険にしろ、労災補償にしろ、労働監督にしろ、あるいは雇用均等にしろ、この仕事をどっちを向いてやっているのか、上司の覚えめでたくなるために自分はやっているのか、あるいは目の前にいる方々、申告に来た方々、そういう方々の立場に立った仕事をしようとしているのか。この自問自答を日常的にやる、端的に言いますと、そういうことが私は「自己変革の努力」だと思っています。

 2つ目は、「職場で日常的に仕事のことを語り合う努力をする」ということです。いま皆さんの職場は午前8時半から午後の9時、10時頃まで残業をしているところが多いわけでしょう。休み時間もろくに休めない職場が多いと聞いています。そういう中でかなり難しいことなのかもしれませんが、ちょっとおかしいなと思ったことを複数の仲間で語り合う、この機会を持つことが大変大事だと思っています。

 そこではじめてこの疑問は俺だけの疑問ではなかった、しかも的外れの疑問ではなかったということが確認できると思います。そうすることによって上からの指示を素通りさせない。そういうチェック機能を果たしていくことが可能になるのではないか。しかし、これも個人の努力ではなかなか難しいと思います。

 そこで、私がいつも強調するのですが、やはり組合が音頭をとらないとだめです。分会、支部、もちろん本部は当然ですが、そういう組織が音頭をとってやることで、個々の職員・組合員の皆さんはやり易くなると思います。

 3つ目は、「労働組合を強める努力」です。労働者が団結することは尊いことだし、それは労働者の固有の権利です。労働者は正当な報酬、権利が正当に保障されなければいけない、こう思わない労働行政の職員がいたとしたら、その人は、大変な就職難の時に深刻な相談を持ち込む方々の苦悩に寄り添って解決の道を探るという仕事ができるのですか、ということです。自らの権利をおろそかにするようでは、なかなか他人の権利を尊重するということはできない。そういう意味で、まず自分の労働条件に対してもきっちりと目を向けて、それを解決する母体である労働組合、ここを大切にしてその強化のために努力をすることが大事ではないのか。

 以上のことを世界の公務員の労働組合が早い時期に一つの決議文にまとめ上げています。

 聞かれた方も多いと思いますが、1959年と言いますから半世紀前です、公務員インターと言いまして、世界の公務員労働組合の集まりがあり、確かモスクワだったと思いますが、こう言っています。「反動的」という言葉を使っていますが、いま流に言えば「反国民的」と言ってもいいでしょうか。「反動的な行政は反動的な公務員なしには遂行しえない」。ですから、それの裏返しでしょう、「民主的な公務員労働者にしてはじめて、民主的な行政を遂行し得る」ということが言えるのではないかと思います。

この記事のトップへ

4 いまなぜ行政民主化なのか

 考えてみたい一つ目は、「労働者は誰でもよい仕事をしたいと思っている」ということです。これは私が申し上げなくても、皆さんご自身がそう思っていらっしゃると思います。問題はよい仕事の中身です。テレビで『なんでも鑑定団』で髭をはやした中島さんが「いい仕事をしていますね」と言っています。あれもいい仕事でしょう。しかしわわれわ労働行政に従事する者のいい仕事とは何か、ここが考えるポイントだと思います。

 製造労働者は、お釈迦を出さずに精密な製品を作り上げる。医療労働者は、患者に安心を与えて、よい治療を与えて命を守る。教員は、子どもの心身の豊かな発展のために尽力をする。それぞれにあると思います。労働行政に従事するわれわれのよい仕事とは何か。ここをしっかりと踏まえて日常の仕事をする。ここがまず第1点ではないのかと思います。

 2つ目は、「不断の努力をしなかったら労働行政は後退をしていくものだ」ということです。皆さんもご存知だと思いますが、労働者保護行政というのは本来、資本の側にとっては規制なのです。いまの日本の社会は、資本が基本的には支配している世の中です。そうすると、たえず自分たちに対する規制を緩めて、できれば取っ払ってしまいたいという衝動を持っています。

 そういう中で労働者派遣法が出てきたし、かつての日経連が「新時代の日本的経営」というような構想を打ち出しました。残念ながら、それがいま、われわれの行政を通じて、進められています。微力であっても全労働がこれだけ日常いろんな問題意識を持って活動していても、そういう大きな力が貫徹されているのです。ですから、われわれが少しでもそういう努力を怠ったら、その力はもっと早い勢いで、あるいは強い力で貫徹をされてしまう、という関係ではないでしょうか。

 昔から一番分かりやすい例として取り上げられるのは監督率です。監督率5%ということは、言い過ぎかもしれませんが、95%が労働基準法の枠外に置かれていると言ってもいいような状態ではないでしょうか。1年に5%でしたら、100%になるためには20年かかる、これはある意味で行政の不作為です。こういうものを許すわけにはいきません。そういうふうに考えていくと、皆さんがとりくんでいる増員闘争。これ自体が立派な行政民主化のたたかいでもあります。

 3つ目は「自らの労働条件改善にとっても不可欠」ということです。この関係も確信にしてもらいたいと思います。あくまでも(行政民主化が)手段であってはならないことは前提です。行政民主化を自分たちの労働条件改善要求を実現するための手段にしてはいけないと思います。真から「あの監督署のあの職員さんたちは本当にわれわれ労働者、国民のことを思って日常、仕事をしてくれている」、そういう信頼関係が生まれなかったら、なかなか公務員労働者の賃金改善の要求を掲げても、渡辺喜美というみんなの党の代表者の言うことのほうが通用しちゃう。昨日もテレビで菅さんの「消費税10%」の批判をするのに、「その前にやることがあるではないか。国会議員と公務員を減らせ」とわめいていましたが、残念ながらこのほうがいま通りがいいような世の中です。しかし、じっくりとわれわれが諦めずに、焦らずに運動を続けていけばこれも必ず打開されると思います。

 

5 おわりに

おわりに、一つだけ申し上げます。

 神野直彦さんという学者をご存じでしょうか。私自身も全面的にあの方に、共鳴しているわけではないのですが、7年前に『世界』という雑誌の中に「危機」ということについてこういうことを書かれており、私も同感しましたのでご紹介します。

 「危機の危というのはあやういことを意味し、機とは変化の可能性を意味する。したがって、危機の時代の後には二つの結論が待っている。一つは破局であり、もう一つは肯定的解決である。歴史を眺めると、危機の時代とは、将来に対する期待感が脆弱な時代であることがわかる。そのため、危機の時代には破局への道を予想しがちである。しかし、人間の歴史は、成功と失敗との経験を繰り返しながらも、ゆっくりと発展してきた歴史であることを忘れてはならない」。

 この部分については私も全く同感でありまして、皆さんの参考になるようでしたら、ひとつ脳裏に止めていただけたらと思っています。

 どうもありがとうございました。

                       以 上

この記事のトップへ