全労働の活動・とりくみ

2005年 7月
シンポジウム
テーマ1
労働分野における「規制改革」の動きと問題点

シンポジウムで解明したい3つの課題

【森ア】最初に、私から若干の問題意識を述べさせていただきます。
今日、雇用あるいは労働のあり方が大きく変化しています。特に、業務請負などに代表される「使い捨て雇用」が広がっていますし、過労死や過労自殺に象徴される過重労働も広がっています。こうした中で私ども全労働としまして、「労働は商品ではない」という、
ある意味では原点的なメッセージがいま非常に重要になっているのではないかと考えています。このシンポジウムでも、そのことを踏まえながら、労働者が抱えるさまざまな問題にきちんと向かい合うべき労働行政のあり方を考えていきたいと思っています。
その際、私は2つのキーワードが重要なのではないかと思っています。1つは「規制改革」、もう1つは「民間開放」です。
労働分野における「規制改革」で言いますと、労働法制に盛り込まれているさまざまな諸規制を大きく撤廃、緩和しようという動きになって現れています。具体的には、労働契約法制の整備ということで、労働条件の変更を労使自治に委ねていこうという動きです。労働時間法制の見直しをめぐっては、労働時間規制のない労働者をもっと増やしていこうということが議論されています。
もう1つのキーワードである「民間開放」では、労働行政のさまざまな事業を民間のビジネスに再編していこうという動きがあります。具体的には「市場化テスト」、つまり官と民が競争入札して、価格競争などをしながら行政の事業を民間に委ねていこうという動きが強まっています。もちろん、「市場化テスト」という枠組み以外にも、従来型の民間委託という形でいろいろな事業が民間に移されています。こういう動きも見ておかなければなりません。
こうした動きは、労働者に大きな影響を与えていますし、労働者に止まらず、広く社会全般にいろいろな矛盾、問題を引き起こしています。全労働は労働行政で働く者として、こうした動きは看過できないと思っていますし、このシンポジウムもそうした問題意識をもって進めたいと思います。
このシンポジウムで解明したい課題を、大きく3つ設定したいと思っています。
1つは、この間の労働法制の見直しが労働者にどのような影響を与えたのかということです。そのことを解明した上で、労働法制の見直し、具体的にはホワイトカラー・イグゼンプションを導入しようとか、あるいは労働者派遣における事前面接を解禁しようとか、そういう動きをどう見たらいいのか。このことをはじめに解明したい。
2つめに、「民間開放」というキーワードで語られている、民営化あるいは市場化というものをどう見たらいいのかということです。そのねらいや予想される影響を解明したい。同時に、労働行政で焦点となっている安定所業務の「民間開放」というものをどう見るのか。この辺も解明したいと思います。
3つめは、その中で労働者、労働組合の果たすべき役割を明らかにするということです。
それでは最初に、この間の「規制改革」、具体的には裁量労働制の広がりなどが労働者の権利や生活にどういう影響を与えたのかという点について、城塚先生からコメントをお願いします。「規制改革が必要だ」という立場の人たちからは、労働時間規制をなくしていくことが「自律的な働き方」を保障することになるとか、労働者の個性や能力を発揮することになる、という考え方が示されていますが、現実には果たしてどうなのか。
また、今日の労働法制の見直しでは、ホワイトカラー・イグゼンプションを導入しようという動きが強まっています。4月18日にJILPT(労働政策研究・労働研修機構)から4か国の労働時間規制に関する国際比較の報告書が出されましたが、アメリカのホワイトカラー・イグゼンプションに関わる記述が中心を占めていて、厚生労働省もホワイトカラー・イグゼンプションの導入に本格的に着手していく動きになっています。これをどう見るかということについても、コメントをいただきたいと思います。

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一部しか存在しない「強い労働者」を基準にしてはいけない

【城塚】労働法制の規制緩和は、労働者派遣法の制定(1986年)あたりから始まっていると思いますが、特に近年、加速度的に進められてきました。その画期をなすのが、日経連の「新時代の『日本的経営』」(1995年)という戦略文書で、ここでは「労働者3分論」を打ち出しました。1つは少数精鋭の正社員(長期雇用継続型)、2つめが主として専門的知識・能力を有する契約社員(専門能力活用型)、3つめが、おそらく大多数を占めるであろうパート・アルバイト・派遣労働者など(雇用柔軟型)で、これが、従来の日本経済の強さの秘密とされていた日本的労使関係を放逐するものと評価されたわけです。
2番目と3番目の契約社員ないしは不安定雇用労働者については、雇用流動化を図って、労働者をどんどん入れ替えていくということが労働法の「規制改革」の課題となったわけです。これについては脇田先生がのちほどお話になるかと思いますので、私は特に正社員に対する裁量労働制、労働時間規制緩和についてお話したいと思います。
今日の労働法制の規制緩和は、特にこの数年、総合規制改革会議の提言に沿う形でシナリオ通りに法改正が進んできたといっても過言ではないと思います。総合規制改革会議(設置期間は2001年4月〜2004年3月)は毎年年末に答申を出していったのですが、実を言いますと、第1次答申と第2次答申を受けてほとんど労働法制の規制改革は終わってしまい、第3次答申では労働法制にはあまり言及していません。これらの答申で盛んに言われているのが、「新しいタイプの労働者像」(高度な専門能力を有するホワイトカラー層、などという例示もあがっていますが)ということで、これがキーワードです。
いまどきの労働者は強くなった。使用者に対して従属関係にあるわけではない。自らのスキルを使って、労働市場を渡り歩いていけるだけの力を十分持っている。だから保護は必要ない。あるいは、労働時間に規制されるようなことではなくて、もっと自ら裁量を振るえるような働き方がいいのではないか――そういう考え方が盛んに宣伝されたわけです。
しかしながら、私たちは日頃いろいろな労働者と接するのですが、そんな強い労働者など一体どこにいるのか、というのが実感です。おそらく、そういう労働者もいなくはない。しかし、それは労働者全体の中ではごくわずかでしょう。労働法制は本来、どんな労働者でも最低限の救済を受けられる、その下支えをするものです。ですから、一部しか存在しない強い労働者を基準にしてはいけないわけですが、それが歪められて、最も強い労働者を基準にどんどん規制を緩めていけばいい、という流れになっていったわけです。
そういう中で、2003年に一連の労働法制の改正が行われ、特に雇用流動化の関係はほとんど終わってしまった。裁量労働制についても要件緩和がなされました。

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ホワイトカラー・イグゼンプション導入――総額人件費削減が最大のねらい

裁量労働に関して言いますと、制度としては専門業務型と企画業務型の2種類があります。もともとは専門業務型から始まって、その後、企画業務型が加わりました。これで、いわゆるホワイトカラーに対して裁量労働制が導入されたわけですが、労使委員会での全員一致の決議が必要だったり、本人同意が必要であるなど、企業にとっては使い勝手が良くないということで、その緩和を図ったのが2003年の改正でした。
裁量労働制がどの程度使われているかというと、そんなに多くはありません。2003年のデータでは、企業ベースでいうと専門型が1.4%で、企画型は0.3%、労働者数比では専門型0.6%、企画型0.1%未満となっています。2003年改正法が施行されたのが2004年1月1日ですので、その後は若干増えている可能性はありますが、なお使い勝手はそれほど良くない、というのが現状だろうと思います。そこで、もっと使い勝手のいい制度をということで、ホワイトカラー・イグゼンプションを導入してはどうか、あるいは「オプトアウト」という制度を導入してはどうか、という議論がされているわけです。
先ほどお話しのあったJILPTの報告書によりますと、裁量労働制というのは、世界には日本以外にこのような制度は存在しないということです。非常に特殊な制度ですが、それでは使い勝手が悪いということで、ホワイトカラー・イグゼンプションというアメリカの制度を導入しようとしている。
そのアメリカでは、どのような場合にこれが使えるのか。報告書を見ると、俸給要件(いくら給料をもらっているか)と職務要件(どんな仕事をやっているか)という2つの要件を満たした場合ということです。
俸給要件は週給455ドル以上ということですから、日本円に直すと月給で20万ちょっと。しかも、1日休んだ場合には欠勤控除してもいいとありますから、実際はもっと低くなり、ホワイトカラーのかなりの部分が入ってくる可能性があります。
職務要件は管理、運営、専門ということになっていますが、この幅が非常に広い。99年では、労働者の21%がこれに該当していたそうです。金額で区切るというのは、いかにもアメリカらしい発想だと思います。アメリカではもともと労働時間規制はありませんので、たくさん働かせたら割増賃金を払ってカネで片をつけるという考え方のようです。それを日本にも導入しようということです。
厚生労働省の「仕事と生活の調和に関する検討会議」では、イギリスの「オプトアウト」という制度の導入も提唱しています。これは、労働者が選択・同意すれば、対象業務を問わずに労働時間規制を外してしまうという乱暴な制度で、EUからも批判を受けているようです。これも、検討課題にあがっているという状況です。
こうした労働時間規制撤廃の目的は明らかです。要は、サービス労働を合法化する、企業が残業代を払わないですむようにする、ということです。賃金のみならず、総人件費を削減することに最大のねらいがあります。

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不払い残業の合法化、健康破壊の進行は必至

こういったホワイトカラー・イグゼンプションが導入されていくと、一体どういうことになるか。まず、不払い残業が合法化されてしまいます。次に、健康破壊が進行します。過労死や、精神的な疾患を抱える労働者が非常に増えています。私たちは、ホットラインなどで労働者やその家族から相談を受けています。日本の労働者は、自分ではなかなか悲鳴をあげてこなくて、家族の方から「何とかしてくれ」という相談が多いのです。過労や精神的な疾患が原因で死亡した、という相談から事件になることもあります。3番目に生活破壊。これは非常に大きな問題です。仕事のことしか考えられない。帰ったら寝るだけ、ということです。当然、家族や社会に対する関心も低下していく。
JILPTが最近、「日本の長時間労働・不払い労働時間の実態と実証分析」という非常に面白い研究結果を発表していますが、想像以上に深刻な事態だということがこれからもわかります。20代後半から40代前半にかけては、週60時間以上働いている人が増加している。特に30代がひどいと言われています。健康に大きな影響が出る月50時間以上の超過労働をしている人が21.3%に達している。人員削減や労働の過密化が大きな原因です。
その中には、労働者がどんな意識をもっているかというレポートもありますが、「1日の仕事でぐったりと疲れて、退社後は何もやる気にならない」という人が、「いつもそうだ」「しばしばある」を合わせて4割を超えています。あるいは、「会社を離れても仕事のことが頭から離れず、気持ちが仕事から解放されない」が、「いつもそうだ」「しばしばある」を合わせると3割に達する。「今のような調子で仕事や生活を続けたら健康を害するのではないか」と思っている人が、「よくそう思う」「ときどきそう思う」で6割近くになるという結果となっています。
どうすれば長時間労働やサービス残業をなくせるかといえば、答えは簡単です。「残業手当など働いた分をちゃんと払う」「法律違反の取締りを強化する」などの回答がかなり高率を占めています。もちろん、「自分が気をつける」という主観的なことをあげている人も多いのですが、行政や司法でチェックできる部分もあるわけです。しかし、ホワイトカラー・イグゼンプションが導入されると、こういう解決の道がまったく閉ざされてしまうことになる。それで労働者が本当に幸せになれるか、というのが非常に大きな問題です。

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【森ア】続いて脇田先生から、同じく「規制改革」という名の下に行われている労働法制の見直し、特に派遣労働の原則自由化などが労働者にどういう影響を与えたのかという点についてお話しいただきたいと思います。加えて、いま社会的にいろいろと問題になっている派遣・請負という働き方についてもお話ししていただきたい。いま、業者間の過当競争の中で派遣労働者の労働条件が劣化してきていますし、過酷な労働条件が指摘されています。こうした中で、請負労働者が100万人を超え、請負市場は1兆円になると言われています。それが、フリーターやニートの増加として社会問題化している。政府も、手をこまねいているだけではなくて、「若者自立・挑戦プラン」であるとか、先日は厚生労働省がフリーターを年間20万人常用雇用化するなどの計画を打ち出しています。こうした労働者の現状や施策の有効性をどういうふうにとらえておられるのでしょうか。
また、労働者派遣における事前面接の解禁などの動きも強まっていますが、この点をどう見るのか。脇田先生は過日、NHK・BSのディベートで、八代尚宏氏、奥谷禮子氏と激しく討論されていましたが、彼らは実際のところ、どんな人たちなのか。感想も含めてお話しいただけたらと思います。

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労働法における6つの基本原則

【脇田】先ほど、城塚さんが95年の日経連提言のことをお話しされましたが、その10年前に派遣法ができています。今年が2005年ということで、85年、95年、05年と10年ごとにそれぞれ節目があるように思います。
1985年に、職業安定法の基本原則から大きく逸脱した派遣労働が一部公認され、その旨みを知った経営者側が95年に日経連の提言を出した。それが大きな契機となって、96年には労働者派遣事業の対象業務が16業務から26業務に一挙に拡大し、99年の法改正ではネガティブリスト方式を導入して、原則的にどんな仕事も派遣できることとし、2003年改正でそれをまたいっそう緩めていく。こういうことで進んできました。
私は、派遣労働の問題は労働法の原則、あるいは雇用の基本原則を崩す大変な問題であると直感しました。残念ながら、私の直感は悪い方向で当たったと思っています。この20年は、労働法にとっては「失われた20年」で、過労死、過労自殺、サービス残業、あるいは同一労働・差別待遇の非正規雇用の拡大など、本来あってはならない状況が拡大しています。
こうした中で私は、ILOや先進諸国の雇用の基本原則に照らして、労働法には6つの基本原則が確立しているのではないかと考えています。
第1の原則は、請負の形態をとっていたとしても、実態が労働者であれば労働者として保護をする。できるだけ労働者性を広く認めて保護を拡大する、ということです。
第2は、労働者を雇う以上は特別な事情あるいは合理的な理由がない限り、長期に雇用するという常用雇用の原則です。したがって、初めから3年経ったら解雇するなどという解雇付きの有期契約は駄目だ、ということです。
第3は、労働者を指揮命令して、その労働者の労働によって一番利益を受けるエンドユーザーがその労働者に対して法的な雇用責任を負うという、直接雇用(間接雇用の禁止)の原則です。
第4は、同じ仕事をしていれば同じ待遇をしていくということです。日本の場合は同一企業での平等待遇ですが、ヨーロッパでは同一労働・同一賃金は企業を越えて実現する。広い意味での平等雇用、同一労働・同一賃金という原則です。
第5は、働かせる以上は労働者が人間らしく生きていける条件(社会保険や最低生活など)を保障するという原則です。
第6は、労働者は団結できる、あるいは団結の結果を享受できるという、団結権保障雇用と言いますか、団結権享受雇用というのが原則ではないか、ということです。

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労働法を氷点下に追いやる、労働者派遣・裁量労働制の拡大

ところが、派遣労働に代表されるような非正規雇用は、そういう雇用の基本原則から外れた雇用である。そういう意味では、労働法はマイナスの状態になっている。本来は労働基準法など最低基準の保障があって、労働組合や法律の力でそれを上回る水準を確保するのが労働法の基本です。しかし、過労死、サービス残業、あるいは非正規雇用…と、日本の雇用社会の現実は労働法がマイナスになっている。残念ながら、日本の労働法は氷点下の状況にある。派遣の拡大や裁量労働制の拡大は、労働法をますます氷点下の凍てついたところに追いやる内容を持っているのではないか、と思います。
先日、東京地裁で派遣労働者の過労自殺事件の判決がありました。上段(うえんだん)勇士さんという23歳の青年が、クリスタル・グループの「ネクスター」という会社に雇われる形で、実際はニコン熊谷製作所で検査業務の仕事をしていた。15日の連続勤務があったり、あるいは周りの仲間が次々と解雇される。非常に元気な若者だったのですが、そういったことで不安に怯える状況の中で、お母さんが訪ねたら首吊り自殺をしていた。いつ死んだのかもわからない。東京地裁は、雇い主であるネクスターだけでなくて、上段さんを事実上指揮命令して働かせ、最も利益を得ていたニコンが健康配慮義務を尽くしていないということで、遺族に対する損害賠償を命じました。
この事件は、私にとっては非常にショッキングな事件でした。労働者派遣法は、労働者がいやな上司を避けて、働きたい時に働くことができ、労働者のいろいろなライフスタイルやニーズにこたえるものだ、という華々しいキャッチフレーズで導入された。しかし、現実には、正社員がどんどん派遣労働者に置き換えられ、一番きびしい「3K(きつい、危険、きたない)労働」が派遣労働者に押しつけられていく。
雇用において何が一番いけないかというと、非正規雇用の中でも有期雇用だと思うのです。私は、「派遣労働110番」で相談を受けています。その中で共通しているのは、雇用期間が決まっている、次の契約をしてもらえるかどうかものすごく不安だ、ということです。
例えば8ヵ月の契約ですと、6ヵ月経ったところで最低10日の年次有給休暇がつきます。「残りの2ヵ月で10日全部使っていいでしょうか」という相談がある。「もちろん、いいですよ。労働基準法はそういうことを認めています」と回答します。だけど、派遣会社が屁理屈を言いまして、「10日は1年で使うもので、10×12分の2しか認めない」という言い方をする。実際には10日使えるのに、そんな権利主張をするような労働者を契約更新してくれるかどうか、はっきりしません。
女性差別も、有期雇用という雇用形態差別を使って事実上広がっています。3年雇用にすれば、その次の更新時期には結婚や出産ということで、体よく「期間満了」ということで解雇できる。有期雇用というのは、半失業状態に置かれているということです。私は正規教員で、団体交渉では学長に対して言いたいことが言えますが、来年の契約があるかどうかわからない非常勤講師であれば、そういうことができるか、ということをイメージしていただきたい。
労働者派遣をバラ色に描く側の人たちは、縛られずに上司を選べる、嫌だったらその期間が終わったら次へ行けばいい、と言うのですが、追い込まれている状況の中で職場が次々に変わるというのは大変悪いことです。非常に大きな圧迫となり、うつ病を増悪させる要因にもなる。近年、メンタル上の問題をかかえる派遣労働者の相談が相次いでいます。派遣労働は百害あって一利なしと言えるのではないか、と思っています。

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派遣法の論理を自ら否定する「規制改革」

この間、「規制改革」の動きの中で言われているのは、労働者派遣における事前面接の解禁、あるいは派遣期間の長期化ということです。これは、派遣労働の論理にも反します。実際に労働者を使っている派遣先が雇用責任を負わずに、雇用元(派遣元)が雇用責任を負うという、雇用と使用の分離が派遣の論理です。しかし、事前面接というのは、採用する時だけは面接して確かめようということで、派遣先が使用だけでなく雇用にも介入してくるわけです。そうなると、雇用と使用の分離という派遣法自体の論理にも反することになる。
テンポラリーワーク、一時的な派遣というのが外国の感覚です。ドイツで派遣が始まった時には派遣期間の上限が3ヵ月で、3ヵ月を超えたら派遣先の正社員に自動的に直用するというのが基本でした。残念ながら、だんだんその期間が延びていますが、基本はテンプ・ツウ・パームです。テンポラリー(一時雇い)で雇ってパーマネント(長期雇用)へ、ということです。ところが日本では、「長期のテンポラリーワーク」などという、おかしなことを具体化しようというのが「改革」の一つの中身です。
規制改革論者が絶対に言わないのは、同一労働・同一賃金ということです。フランスやイタリアの派遣法では、派遣労働者の労働条件は派遣先の労働者のそれと同等か、それ以上でなければならない、ということになっていいます。ドイツでも、最近の派遣法改正でその点が明確になっていると言われています。派遣期間は長期化した代わりに、同一労働・同一賃金の原則が派遣労働者にも適用される。ところが、八代さんや奥谷さんなどはその点には耳を塞いで、絶対に言いません。「派遣はいい」と言うのですが、一番弊害のあるところへの言及は避けているのが彼らの共通点です。
派遣法自体の論理である雇用と使用の分離さえ、事前面接の解禁で自ら否定する。テンポラリーワークを長期に受け入れることができ、しかも同一労働・差別待遇でもいいということになれば、何でもありの派遣労働となります。労働者にとって、こんな無権利なものはありません。こういう派遣制度になれば、正社員・正規雇用にある人たちの雇用も冷えていくのは当たり前です。そういう意味で、日本の派遣制度は独自の論理を失い、世界的にも孤立しているわけですから、これは廃止するしかない。私の主張は過激だと受けとられているようですが、それしか道はないのではないか。
私はこの冬、2ヵ月半ほど韓国に行っていましたが、民主労働党や民主労総は非正規労働者保護法を提起しています。そこでも、期間雇用、有期雇用は1年経ったら長期雇用にするという内容と並んで、派遣労働は廃止するとはっきり言っています。そういう意味でも、日本の派遣労働は世界でもっとも問題が大きく、労働者保護も貧弱であり、これはもう廃止せざるをえない、というのが私の考えです。

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【森ア】いまの脇田先生の話とも関連しますが、この間の労働分野の「規制改革」は労働問題を超えて、社会問題として非常に深刻な影響を世の中に及ぼしていると思います。そこで安田さんから、労働分野の問題が影響したと思われるような事件や、その中で浮き彫りになった課題などについて、日頃感じていることをお話しいただけないでしょうか。

弱者がより弱者に刃を向ける格差社会

【安田】奥谷さんと八代さんの話が出ましたので、私もひと言申し上げますと、奥谷さんは週刊誌の記者でも会ってくれるんです。私が記事の中で手きびしく批判しても、あの人は数ヵ月するとコロッと忘れて会ってくれるという、いい意味で非常に抜けたところがあるんです。ところが、八代さんという人は週刊誌の記者には絶対会ってくれない。取材を申込んでも、「私は週刊誌には一切答えたくありません」というペーパーをファックスで寄越してそれで終わりです。仕方がないので、会見の後にぶら下がりで取材するしかないのですが、NHKにはちゃっかり出たりしている。「お前が規制改革しろ」と言いたいくらいです。
労働法制の見直しが社会に与えた影響ということで言いますと、そんなに深く研究しているわけではないのですが、確実に社会の中に格差をもたらしたと言えると思います。僕はもともと事件記者ですから、事件を取材していて非常にやり切れなくなるのは、格差社会の比較的下の方にいる人が、より弱者に対して刃を向けることがある、ということです。
私たちマスコミも、実は格差社会とまったく無縁ではありません。マスコミの現場には4種類の労働者が存在しています。まず1つが正社員、もう1つがアルバイトやパート、もう1つが事務部門に多い派遣労働者、そして4つめがフリーの記者やカメラマン、レイアウターなど、個人事業主としてマスコミの現場に参加している人です。テレビの場合には、さらに制作会社から派遣されてくる人も加わります。マスコミというのは、人間の平等とか人間の尊厳とか、時には世界における貧富の差を涙を流さんばかりに嘆いてみせるわけですが、その内部では著しい格差が生み出されている。
例えば出版社の場合、正社員と比べてフリー記者の年間所得は半分では済まない。週刊誌の現場では、正社員の3分の1ぐらいの年収でフリー記者が働いている。週刊誌の記者はよく公務員を叩きます。公務員は給料をもらい過ぎだとか、仕事中に昼寝しているとか、大阪の問題もそうでしたが、週刊誌はああいうことがあると一生懸命やります。ある種、私怨に近いものがあるではないかと思っていますが、常にデスクの言う通りに動かされて、低い年収で退職金も保険もなく、不安定な状況の中で日夜張り込みを続ける記者からみると、安定したものはなんでも敵に見えてしまうという状況もあると思います。
ある大手週刊誌の場合ですが、駆け出しの記者はフリーランスでのスタートです。そこで実績を上げると嘱託社員という形になる。さらに実績を上げると社員になれる。そういうシステムを作り上げた大手週刊誌もあります。こういう状況の中では、「ジャーナリズムとは何であるか」と考える余裕もなくなってしまう。いかに実績を上げるか、いかに会社にとって忠実な記者として振る舞うか。それが、「できる記者」の条件となってしまうという、ジャーナリズムと無縁のところでエネルギーを使わざるを得ないような現場もあります。
もちろん、これは他の業界でも同じことかと思います。雇用の形態が細分化されることで所得格差が生み出され、その中で当然、分断も生まれます。労働時間においても二極化という現象が現れています。正社員をリストラし、短時間労働者を増やすことで、一部の正社員に仕事の負担と責任が集中するという事態を往々にして見てきました。その結果として、とりあえず安定雇用の範囲内にある正社員の中で過労死あるいは過労自殺、ストレスの増加が出てくる。
一昨年(2003年)、全国で過労死と認定された人は157人。過労自殺と認定された人が40人。あくまでも認定された人の数字ですが、約200人が亡くなっています。これも一昨年の数字ですが、全国の労基署が受理したPTSD(心的外傷後ストレス障害)あるいはうつ病などによる精神障害の労災申請は438件。これも過去最高水準ですが、あくまでも氷山の一角だと思います。
こうしたことで、職場の荒廃という現状は当然出てくるわけですが、それも無理もないでしょう。所得が増えることもなく、働く人間が分断され、最近では成果主義の導入によって企業間競争でモチベーションを高めてきた企業社会に、今度は個人間の競争というものが加わってしまった。非常にギスギスした社内環境となりますし、そこに長時間労働、経済不安が加われば、死ぬか病むか、という選択肢を突きつけられる人も当然増えてくるかと思います。
一方、正規の雇用から漏れた人は、会社への愛着や将来への希望を失うことが少なくありませんし、常に生活への不安と将来に対する恐怖の中で生きているのが現状ではないかと思っています。いまの企業社会が、正規労働者の傷ついた心と身体、あるいは非正規労働者の生活不安に支えられて成り立っているとすれば、会社が荒廃していくのはむしろ当然ではないかと思います。会社だけではありません。こういった状況では、社会も荒廃していきます。犯罪や差別が生まれる背景には、そのような事情もあるかと思います。

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人々の焦りや不安を増長させる「規制改革」・自由競争

自由競争や規制緩和というのは非常に美しい言葉であるけれども、一方で格差を生み出し、一方で敵を生み出す社会を作り出しているのではないかということを、事件取材を通じて感じています。必ずしも、貧困という要素が犯罪を生み出すということを言いたいのではなく、むしろ格差を実感する階層に置かれた人々のあせりや焦燥といったものが、時として人を犯罪に走らせてしまうのではないか、と思う時が少なくありません。
僕は品川区に住んでいますが、エレベーターで最上階に上ると、東側にお台場が見え、西側に六本木ヒルズが見えます。右に日枝(フジテレビ社長)、左にホリエモン(ライブドア社長)がいるのだと思いながら、美しい夜景を見上げているわけです。その時に、たまたま仕事がうまくいかなかったり、翌日がクレジットカードの引き落とし日だったりしますと、とんでもなく沈鬱な気持ちになって、いっそのこと壮大な詐欺でも働いて、両方のビルを乗っ取ってやろうかという気持ちになる。辛うじて暴走を抑えている部分も僕自身の中にあるわけです。 最近の取材で直面していることですが、悪徳商法や悪徳フランチャイズによる被害者が後を断たない。そこでは、僕と同じように不安と焦燥を抱えていた人が被害者となっているのではないかと思います。きょうは職業安定所にお勤めの方もいらっしゃると思いますが、そういう方々とはまったく関係のない「職安」(闇の職安)が世の中にはあります。URLを頻繁に変えているので見つけるのはけっこう難しいですが、「闇の職安」というサイトがあります。何をやっているかというと、ドラッグの密売人の募集から架空口座の買い取り、さまざまな犯罪に関する助っ人の募集などをやっているわけです。
最近問題になっている「オレオレ詐欺(振り込め詐欺)」は架空口座をたくさん用意するわけですが、その最大の供給源がこの「闇の職安」です。ここにアクセスして、自分が持っている口座を誰かに売り渡すということをやっている。六本木ヒルズやお台場の高層マンションに住むことのできない人々の不安、焦りがそういったところへのアクセスを促進させているのではないか、と僕は思います。何度も何度も摘発されていますが、サイトは現れては消え、消えては現れという形で、いたちごっこになっています。警視庁は必死になって摘発するのですが、多額の負債を抱えた人たちなどが応募し、しかもサイトの開設者は何らかの形で暴力団に関わりのある人がやっている。このいたちごっこがずっと続いています。
市場化とか自由競争など、言葉自体は非常に美しいと思うけれども、そこに決して登りつめることのできない人々の焦りとか不安、そういったものが何をドライブにして生まれているのか、ということが問題です。まさしく「規制改革」であったり、あるいはルールなき自由競争であったり、ということではないでしょうか。そこから取り残された人たちが、その不安の中でさらなる社会不安を作り出す一つの要因となっているのではないか、と思う時が少なくありません。

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