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全労働の活動・とりくみ

2005年 1月
第22回中央行政研究集会記念講演
新自由主義の「小さな政府」論は破綻しつつある!
労働行政の規制改革をどうみるか
東京大学社会科学研究所 田端博邦教授

※おことわり この講演内容は、全労働が開催した第22回中央行政研究集会での講演を教宣部にて要約したものです。

政府は「規制緩和が労働市場を良くする」との主張を繰り返している。常識で考えれば、政府の責任放棄ともいうべき誤った考え方だ。しかし一方では、これが唯一の方向性であるかのような勢いを得ている。

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労働法制の規制緩和と労働行政

労働法制の規制緩和の出発点は、80年代の臨調行革。90年代になると頻繁にかつ小出しに労働法制が「改正」されていった。このやり方が制度の枠組の崩壊を見えにくくした。財界の主張に抗しえなかったのが大きな原因だが、労働省の一貫性のなさも指摘せざるをえない。政策決定システムも労使合意を要件とした審議会から、今や総合規制改革会議のように労働者を無視する仕組みになりつつある。なぜこのように規制緩和が叫ばれるようになったのか。
臨調行革では「増税なき財政再建」がメインテーマとなった。ここで財界の中核である多国籍企業や金融資本は規制緩和を主張し、バブル崩壊で「構造改革」を求めた。政府も新自由主義(新古典派経済学)政策へ傾いていった。「規制は非効率を生む」「市場メカニズムが最良のものをつくる」「労働者は自己責任を全うする自立した存在」。こうした新自由主義の考え方は同時代のアメリカをモデルとしている。今のアメリカはどうであろう。かつてない所得格差と治安の悪化が進行している。

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労働行政の「規制緩和」

NPM(New Public Management)という言葉がある。これは「公共サービスを民間事業体で」という発想で、99年に行革委員会最終報告で初めて使われた。省庁再編や独立行政法人化そして総合規制改革会議もすべてこの流れの中にある。たとえば職業紹介について「全国無料のサービス体系は必要」と言いつつ「その実施主体は行政でなくてかまわない」と主張するのもNPMの考えに基づく。しかも厚生労働省も小出しに譲歩している。これでは公設民営化や独立行政法人化への条件づくりを後押ししているようなものだ。
総合規制改革会議は総じて「官製市場」改革を訴えるが、公共サービスがなぜ非効率なのか明らかにしていない。聞く耳持たない姿勢は宗教じみている。おそらくは民間ビジネスの拡大の思惑しかない。大いに反論できるところだ。

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バブル不況と雇用対策

労働法制や労働行政の緩和が進められる中で雇用対策はどうだったか。残念ながら粉飾的施策としか言いようのないほど系統的なスキームが無かった。政治的な配慮せざるえなかったこともあろうが、「見せる」ための助成金を乱発したのではないか。使い方が大事なのに、バラバラにつくられた感がある。腰の据わったポリシーが無ければ必然的にそうなる。
能力開発や教育訓練も雇用政策の一環として費用をかけるべき。失業補償も手厚くすべきだ。もっと大胆に公的投資していい。もうひとつ見逃されそうなのが労働時間だ。刑事罰を用いてでも改めさせない限り、過労死や過労自殺は防げない。強力な残業規制がなされれば雇用を増やすワークシェアリングも広がる。

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むすびにかえて

今、労働行政に求められるのはシステマチックな雇用政策である。それに伴う公的投資も増やすべきだ。完全雇用などの政策理念があれば規制緩和の動きにも惑わされることはない。自信を持ってグランドデザインを示したらいい。
また、政府・財界の力が強すぎることは問題である。労働者がこれほど弱い立場に置かれているのは望ましくない。このアンバランスを是正するのも労働行政の役割である。
新自由主義の小さな政府理論が破綻しつつあるのは述べたとおり。日本はアメリカ型ではなく、労働法制や雇用政策が充実しているヨーロッパ型社会にこそ目を向けるべきではないか。それは決して財界の言う競争力の無い社会ではない。規制緩和論はここから覆せよう。社会にとって欠かすことのできない労働行政の発展に期待している。

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